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[連載]兜跋毘沙門天の居ます風景……北進一

アナトリアの地母神

私の兜跋毘沙門天に関する連載は、ここで大きく西のアナトリア平原(小アジア、現在のトルコのアジア地域)に飛ぶ。むろん兜跋毘沙門天は仏教の神なので、仏教が伝播していないアナトリアに話をもって行くのはいささか場違いかもしれない。しかも、時代は紀元前六五〇〇年頃と途方もなく遡る。だが、前回で言及したように兜跋毘沙門天(図?)は毘沙門天と地天女=地母神が合体した点が非常に意味をもつので、地母神信仰の盛んなアナトリアに目を向けてみることにした。
地母神とは、大地の生命力を人間に付与する機能または存在に対する信仰から生まれた女神で、この信仰は人類史上最古でもっとも普遍的な宗教活動の一つとされる[注?]ゆえに世界各地で地母神信仰が見受けられる。その中でもアナトリア平原は、紀元前六五〇〇年頃から紀元前五七〇〇年頃までの新石器時代の人々の居住址を示すチャタル・フュックを先駆けとして、地母神信仰が脈々と受け継がれていった地域である。アンカラのアナトリア諸文明博物館には、このチャタル・フュック出上の最古の地母神とされるテラコッタ(焼成粘土)像(図?)が展示されているが、まさにこの像は私にとって兜跋毘沙門天の地天女を彷彿とさせる。地母神様は高さ二〇?程の小さなもので、二匹の豹(leopard)を肘掛けとした玉座(岩座)の上に坐っており、身体は尻や腿や腕がでっぶりと重厚に造られ胸や腹は特に強調され垂れ下がっている。女神の母性と豊穣性をこれほどまで強烈に表す図像は他に例を見ないが、さらに興味深いのが地母神の両脚の下に小さな人物像が彫出されている点

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?東寺の兜跋毘沙門天像
?チャタル・フュック出土の地母神像
(アンカラ・アナトリア諸文明博物館蔵)
?チャタル・フュック周辺風景

 

 

 

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