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穂」が埃を被って掛けられており、古いものと比べると今年の初穂は格別新鮮に見える。
さらに、夕方になると、主婦は去年の古米と今年の初穂でとれた新米と一緒に「混ぜご飯」を炊き、家族全員が神棚の前で新旧稲霊の世代交代を意味する「混ぜご飯」と大豆と一緒に煎った「焼き米」を食べる。食べる前に主婦はまず蓑をもって食卓の表面を払い、これで神々のご来臨を示す。戸主は古米と新米で次かれた混ぜご飯を神々に嘗めて頂き、家族もそれをいただく[注?]。
このようなハニ族のホスザと同じく、日本にも次のような初穂祭が行われている。
八重山群島川平村ではスクマ道払いといって、田圃から家までの道を清め、翌朝実りの良い、しかも東方に向かって垂れている稲穣三本を刈り取って帰宅する。この稲穂三本を、それが男子ならば棒にかつぎ、女性ならば頭上にかんめて、いずれも重い重いといいながら持ち帰る風習で、内地の佐賀でも秋の稲掛け行事にも同様なしぐさが見られた[注?]。
日本の初穂祭もハニ族と同じように稲刈りをする前に「追払い」の儀礼をすませ、それから次のように摘み取ってきた初穂を稲霊として家の柱や倉に穂掛けをしている、同山県の勝田町楮では、刈り入れ前に穂を二本つないだ物を田圃、神棚、ナンド神にも穂掛けし、いよいよ稲刈りを始める。
とその米で焼き米をして桑の葉にのせて屋内内神に供えている[注?]。
奄美大島の名瀬や三方などで謂ふイネジキマといふのがやはりこれで、ただ穂掛けと謂はぬだけが違ってゐるばかりか、その作法は一層古めかしいものがある。即ち稲刈り一週間ばかり以前、家を清め、庭には海岸からさざれ石を採って来て奇麗にした上、主人が夕方に田から垂穂を二三株刈り取り、床の間近くの柱に掛け、ニイヤーガナシ(稲精)を迎へると謂ってゐる[注?]。
さらに、日本の初穂祭に食べる「儀礼食」も「焼き米」と「混ぜご飯」である。
四国の愛媛県の南予や東予、中予では、秋分の「社日に穂掛けがなされる。穂掛けというのは、黄ばんだ穂を数条、神前に供える神事である。また完全に実入りしていないので、焼き米にして供えたりするところもある[注?]。
奄美大島の名瀬市で、旧六月に行われる稲霊を迎える儀礼で、刈り取ってきた稲穂を柱に掛け、その穂から米粒を取って御飯に混ぜて炊いて食べると山下欣一氏が報告している[注?]。
以上、ハニ族と日本の稲作儀礼を比較してみた結果、ハニ族には人間が人生儀礼を通過する必要があることと同様に、稲にも成長儀礼が必要であるというハニ族の信仰があることがわかり、また、それに合わせて執り行う稲のための結婚式を祝う「閉秧門」儀礼、稲の火中出産を促すための「松明察」、稲の世代交代を意味するホスザというセットとなった稲作儀礼は、日本の「苗開き」「吉田火祭」「初穂祭」と細部にわたって共通していることがわかった。
最も興味を惹かれたのは、稲作を営む多くの民族の中に、苗開き儀礼と初穂祭が一般に報告されているが、ハニ族と日本のように、稲の火中出産を促すための松明祭は、中国においてハニ族の所属するイ語系民族を除き、中国の江南地域にも朝鮮半島にも報告されていないことである。
さらに調べていくと、より多くの共通点が見つかることと、これらの共通点を生じた原因もわかるかもしれないが、本稿では、稲作におけるハニ族と日本との共通性の指摘に止める。参考文献は66頁
……<学習院大学講師>
山の頂上に向けて開かれたハニ族の水田

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