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「開秩門」とは日本でいう「苗開き」の儀礼である。それは天門と地門が開く吉日に稲の娘が嫁に嫁ぐ挙式をあげる儀礼であり、稲の娘が処女性をなくす聖なる初夜の交わりを行う儀礼である。次に筆者が現地で調べてきた実例を二つ紹介する。
実例?元陽県無水溏寨(ナミ支族)
朝、男四、五人が水牛をひき、早乙女十数人が一番美しい衣装を身につけて斎田に向う。斎田は、標高約一四〇〇?の山の中腹にある。周りは棕櫚の樹や果物の樹に囲まれ、雛の鴨が親鴨の後ろについて水田の中で遊んでいる。斎田に着くと、、戸主が先ず持ってきた豚肉、握り飯、卵、カボチャ、酒などの物を畦道に供え、田の神や祖先神を迎える。続いてヨソと呼ばれる長さ二?の縄を畦道に引く。これは太陽の金髪あるいは太陽を引っ張る紐だと言う。真っ直ぐにひっぱっておくと、太陽は早く西に落ちることなく田植えを一日で終える事ができるという。それから。戸主が一束の苗を手にとって斎田に入り、斎田の縁で体を東に向け、苗を二つに分けてその一つを田の中に投げ込み、この田が植え終る時に苗の門を閉めるための「関秧門」儀礼に植える。もう一つは田の中央または水口に三列に植える。植える時には頭をあげたり横を向いたりしてはいけないとされている。三列の苗を植え終ると、残りの苗の半分を畦道の外へ投げる。もし畦道の外へ投げ出すことができなければ、今日の一日で植え終らず、禍が起こると心配する。
三列の苗を植え終わると、今度は早乙女たちが手拍子を打ちながら田植え唄を唄って斎田に入る。六十才のお婆さんが最初に歌い、早乙女たちは一緒に歌いながら歯を押す。若者たちは木の葉で草笛を作り、作った草笛を若枝に結び、その草笛の結んだ若枝を斎田の中央に挿し立てる。早乙女たちはそれらの草笛で田植えの唄を吹き、山間には早乙女たちの草笛の曲と歌う田植え唄が響きわたる。
この日は稲娘が嫁に嫁ぐ愛でたい日であるため、嫁の入門式の時に足を洗う習俗と同じように、苗の根をきれいに洗う。綺麗にならないと嫁にはいけないという。この一枚の田を植え終ると、皆がまた手拍子を打ちながら作業小屋に戻り、田植飯(昼飯)を大樹の木陰で若衆たちに見守られながら稲霊の象徴とされる早乙女たちが先に食べる。食べ残した分は若衆たちが食べる。食べ終るとさらに田植えの踊りを男女が一緒に踊る。そして、夜、若衆と乙女たちは、山中へ入り、性行為を伴う暗闇祭りを楽しむと言う。
実例?元陽県洞浦寨(アイロ支族)
夜が明ける前に、家の主婦は早々と田植飯を作り、「さあ、今日は田植えの日ですからこれから苗が嫁に行きますよ。皆で卵と糯米の御飯を持って田植えに行きましょう」と囲炉裏の明かりの中で皆を催促する。娘たちは一番きれいな衣装を身につけて水田に向う。
水田に着くと、先ず作業小尾を修理する。そして一人の未婚の娘が片方の手で曲一束を持ち、片方の手で供え物の握り飯、卵、箸、芭蕉の葉の入った弁当と長さ二?の縄を持って畦道に入る。彼女は芭蕉の葉を畦道に敷き、卵の殻を剥いて、握り飯や箸と一緒に芭蕉の葉に載せて神々に供える。そして太陽が西に行かないような願いを込めた気持ちでその縄を畦道に敷く。その縄は太陽の髪の毛だと彼らは思っている。娘は片方の手で持ってきた一束の苗を二つに分けて半分を水田の中へ投げこむが、これは、川植えの最後に苗の門を

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ハニ族の早乙女たち

 

 

 

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