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中国ハニ族と日本との稲作儀礼……曽紅

中国雲南省の文化と日本文化との共通点が多いことについて、すでに多くの学者によって指摘されている。筆者も別稿でこのことについて述べたことがあるが[注?]、本稿では、雲南省の山地に分布するハニ族(タイではアカ族と呼ばれる)と日本との稲作儀礼の比較を試み、両民族における稲作儀礼の共通性を指摘する。
例えば、ハニ族は夏の松明祭の夜に、鬼や疫病を払うために燃やした松明をもって水田を照らし、松明の炎で稲をあぶり、稲の火中出産を促す儀礼を盛大に行っているが、日本にも、記紀に伝わるコノハナノサクヤビメが火の中で稲の火中出産をなし遂げた神話に因んだ松明を燃やす夏の富士浅間神社の「吉田火祭」がある。

斎庭と祖田

稲作儀礼といえば、日本神話に伝わるアマテラスが最初に天上の田で稲を植えた「斎庭の穂」に遡る。『日本書紀』によれば、アマテラスは中つ国にツクヨミに殺された食物神・ウケモチの死体から発生した稲・栗・稗・麦・豆と牛馬・蚕を高天原に取り上げ、そのうちの粟・稗・麦・豆などを畑作として下界の人間の食物と定め、稲だけを天上の田「斎庭」に植えた。その当時、斎庭で植えた稲はアマテラスが食べる聖なる物で、天上界における稲作文化の始まりであった。
また、地上界で最初に植えた稲も、この天上界の斎庭で実った稲穂をアマテラスが穀霊の存在であるニニギノミコトに授け、ニニギノミコトはこの「斎庭の穂」を地上界に持ってきたものであり、これが人間界における最初の稲作起源であった。
いまでは、各神社に神々の食べる聖なる稲を構える「神田」が祭られており、神田の田植えを終えた後、庶民の田植えが始まる。
このような日本の斎庭を祭る習俗は、ハニ族にも見られる。ハニ族の各集落には稲作儀さいで人礼を司る祭司が管理する「斎田」があり、この斎田は集落によって「祖田」(祖先の田)とも呼ばれている。例えば、墨江県巴溜郷罵尼村では、祖田はリァオボと呼ばれ、昔リァオボの他に、ヤケと呼ばれる窪田とリェボガと呼ばれる大田も祖田として祭られていたという。
祖田は、日本の斎庭と同じように村造りの時に最初に稲を植えた水田である。この祖田が人間界でなく天上界に位置される水田であるとみなされ、人々は、天上界の祖田の田植えを終えないと、各自の家の田植えを始めないという決まりを見守っている。
また、人々は祖田で収穫された稲が祖先神と天神、地母神、他の神々に食べていただくものであると思い、祖田の実り具合を注意深く見守っている。村だけでなく各家にも祖田

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家屋の前に広がるハニ族の水田

 

 

 

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