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宝満神社の赤米と神事

種子島の南端にある宝病神社は、黒潮が打ち上げる砂丘に囲まれた海跡湖の宝清の池のほとりに建つ社であり、砂丘の南西の浜には縄文晩期の長崎鼻遺跡がある。
この神社の起源ははっきりしない。太宰府に宝満富があるので、そこからの勧請神であると思われる。勧請の年代は、太宰府と密接なつながりのあった古代参執国時代(七○二〜八二四)と考えられる。祭神も太宰府と同じ玉依姫である。お田の森や舟田での赤米神事はもっと古くからあって、それに宝満信仰が複合したものであろう。
宝満神社から四百?ほど北にお田の森と稲庭とも言う神田があって、その一角に赤米を植えるオセマチと言う一?ほどの田がある。
新暦四月六日ごろ、オセマチでお田植が行われ、旧暦九月九日には願成就祭りの民俗芸能が境内でにぎやかに行われる。氏子組織は大字茎永の全戸からなっていて、その総代は、神社のホイドン(祝殿、宮司)や社人(社守り)と共に祭祀組織の要をなす。

お田の森

オセマチに隣接するお田の森は惰円形状の森山をなし、高さ三・七?、周りし五?で、マテ、ハマガシ、ソテツなどが生え、順にはシイの木があって、その根元にサンゴの菊面石をいくつも積んだ一?四方ほどの祭壇がある。お田植祭の日、その祭壇には五穀や神酒のほかに赤米の苗が二把供えられ、そばにはシュエー(潮井)苞が二つおかれる。
シュエーとは社人が早朝、浜辺に一人行き、禊して取って来た海砂で、タマシダの葉に包んだもの。種子島の人びとのシュエーへの思いは深く、後述のガローヤマの祟りなどこれを供えるとたちまち癒ると言う。海砂のシオに、強い浄化力を認めるのは南九州も同じであるが、種子島ではいっそう強調されていて、それは黒潮の力の信仰に見える。
宝満神社から四??西に、お田の森によく似た「森山」という神の森がある。真所神社の神田のそばにある森で、高さ一三?、周り一方四?の円形の美しい森で、トベラ、カシ、シイ、マテ、イヌマキなどが茂っている。真所神社お田植祭のときはこの森山の裾で直会が行われる。
種子島にはガローヤマという森山が多い。茎永には一八カ所もあって、旧暦九月九日には村落ごとに氏子たちがガローに初稲を供える。烈しい祟り森であるが、お田の森と真所の森山はガローとは言わない。しかし聖なる森で、お田値とかかわる森である。
日本の森山信仰は沖縄・奄美から九州をへて中国、近畿にひろがり、若狭へとつづいている。その呼称はカミヤマ、モイドン、小一郎、荒神森、ニソの社などいろいろだ。森山信仰は対馬のシゲチ、韓国の堂山の特に下堂の森にもつらなる。日本の南を見ると、東南アジア、熱帯の森山につらなる。
お田植と森山のセットは薩摩半島の川辺町飯倉神社お田植祭や日吉町の日置八幡お田植祭にも明らかに痕跡が認められる。森山の頂で稲苗を神にいただくのは森の精霊と稲と

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?潮井とり。浜辺でシュエーを採取し、タマシダの葉に包む

 

 

 

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