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来、少しずつ自分の土地を増やしていきたいとやってきたのに、何千年という欲望があそこでストップさせられました。あの時から、土地に対する信頼感への戸惑いが生まれたのではないかと思います。そのことから、戦前とは違う新しいニヒリズムが、今の農民の内部に生まれているのではないかという感じがしますが、どうでしょうか。
渡部……そうですね。私が農村調査を始めたのが昭和二十五年からです。まだ助手の時代で、先生に連れられて愛知県や滋賀県の農村をぼちぼち回り始めた頃です。私は都会育ちで、農村はほとんど知らないできていたのです。農村を回り始めた昭和二十五年ぐらいのことを考えると、農民が将来に期待感のある時代を過ごしたのは農地解放後のわずか五年ぐらいかと思います。しかし、すでに農民は将来もこんなことがうまいこと続くのかというような危倶の念を持っている人が多かったです。それにしてもやはり戦前の小作の問題もなくなるし、何となく農村の未来に農業の光を感じたような時代でした。昭和三十年をはさんだ数年がそんなようなんですよ。その原動力のひとつになったのは、何と言っても機械が入ったことです。あれは大きかったと思います。今まで鍬でこつこつ耕していたのが、ハンドトラクターで、あっと言う間に一町歩ぐらい一日に耕してしまう。あれは農村にうんと明るさを取り戻して、これでやれるぞというような気持ちにさせたと思います。しかし、昭和三十六年に農基法が出て、もっと規模拡大をしろと、小さい百姓をやめていいというようなことになった時に、いっぺんに百姓はガツーンと落ち込みますね。
谷川……お百姓さんと接触して、そういう感触を受けられたわけですね。
渡部……あの時の農林大臣は河野一郎だったんです。農村回りますと河野農政に対する百姓の憤りが大きかったことを今でも覚えています。あの昭和三十六年は日本の戦後、やっと曙光を将来に見たような農村がガタガタッとまたかというような形で崩れていく曲がり角だったと思いますね。その頃には、もうすでに水余り現象というようなことを政府は言い出していますから、減反政策はあらかじめ用意されたわけですね。それから五年後の昭和四十年ぐらいですか、減反で決定的な打撃を農村が受けだということです。
谷川……やはり稲作は単に生産の問題ではなくて、日本人の精神の支柱であったのが、それが折れたような感じにならざるを得なかったと思うんですね。

魂がぬけた土地と稲

渡部……本を一冊書き上げますとね、便秘が治ったみたいにやや解放感を味わい少し気持ちが和らぐものですが、今度はこの本『農は万年、亀のごとし』を書いてもその気持に全くなれない。いろいろと書評で批評をしてくれるんですが、話もお前の考えは間違いだということを言ってくれないんです。お前の言うとおりで、あるいはもっと農村は今駄目になっているんだという批評ばっかりなんです。誰かが農業あるいは農政はお前が書いているような悲観的なものでなくて、こういう方向にいけば農業やら農民に未来はあるというようなことを言ってほしいんです。そういう声がどこからも出ないんです。
この前熊本へ講演に行ったのですが、その後の座談会の席でも、熊本みたいな農業県でありながら、現実は私が書いたこの本の内容以上に農村は深刻に駄目になっていると言う。熊本の農村の青年に会いなさい、彼らは一日でも早く田んぼをやめて、町へ出たがっていますよって言うんです。一つの村で農業を継ごうとしているのが一人か二人だって言うんです。八割から九割の若者たちが一日も早くどこかへ行きたがっている。長男に生まれたことをまったく後悔しているし、親父が田んぼを早く売ってしまわないから、田んぼの世語しなきゃならないことを心底から悔やんでいる農村の青年ばっかりですと言う。そういうことを聞きますと、本を書いた喜びというか安堵感というのはどこからも出てこないん

 

 

 

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