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谷川……それはいつ頃ですか。
渡部……私が卒業したのは昭和二十四年ですが、学位論文は三十五年頃書いたんです。学位論文を書いた頃はまだ熱帯へ行った経験はなかったんですが、幸いに京都大学や農水省にはアジアから取り寄せたたくさんのモチ稲がありました。モチ稲といってもいろんな粘り方があります。そういう品種間の差であるとか、地域間の粘りの差であるとか、粘りの原因は何であるかとかまとめて字位論文を書きました。その後しばらくしてフォード財団に申請したら、受理されお金をくれることになりました。それでやっと東南アジアに行けることになったのです。
文部省の海外調査だと、講師や助手の日当が九ドルの時代にフォードは一日に三〇ドルぐらいくれたのです。フォードは有り難かったです。
それで調査は、やはり学位論文でそういうモチ米のことを書きましたので、東南アジアでモチ米しか食わない特異な地域をいちばん最初にねらったんです。それはわりあい広いんです。北タイ、東北タイがそうですし、ラオスは全域にわたってモチ米しか食わない。それからビルマで言うとシャン州、それからインドではアッサムの東のインパールのあたりですね、中国ではかっては雲南筒の南がそうでした。広西壮族自治、区も一部がモチ米主食圏です。そういう地域で朝昼晩とモチ米しか食わないということは、モチ稲しか栽培しないという特異な地域でした。
当時はこのことを日本人は誰も書いていなかったのですが、フランスがラオスをかつての植民地にしていたものですから、フランスの学者が簿っぺらな本で珍しい地域があるということを書いていました。榎本先生も読んでおられて、ここを調査したらどうかといわれまして、それでチェンマイの郊外のサンパトンという村に八カ月間いました。稲作の一シーズンをその村で過ごしまして、『“Glutionous Rice in Northern Thailand”(北タイにおけるモチ稲栽培)』をハワイ大学の出版社から出したのが私が本を書いた最初なんです。ですから東南アジアの大陸部のモチ稲には非常に古くから関心があるんです。ただ、時間がなかったので、モチ稲栽培圏という地域の広がりの研究が十分にできなかったんです。未だに古代の中国、またインドネシアを含めた東南アジアの島のモチ稲のことが気になるんです。自分でいつかはやらんとあかんなと思っているのです。モチ米食文化圏、モチ稲栽培圏の圏外に、アッサム地域を除く南アジア(インド、バングラデッシュなど)があることも画白い問題だと考えています。インドは令くモチ米を食べないのです。

稲作圏と文化圏の差異

谷川……『稲の日本史』の中に宇野圓空の話もありませんし、初穂儀礼の語も出てこなかった。それから、いちばん重要な稲の折り目、シツを八月十五日だと柳田さんは結論を出していますね。これはまちがいです。だから、まだまだやるべき研究があると思います。
渡部……ほとんどの方が理地を知らなかったということは大きいでしょうね。盛永さんでも、月の脱い方ですから、現地でそういうのを見ていたら必ずお書きになると思いますが、おそらく見ていらっしゃらなかった。盛永さんはすぐれた実験科学者で、実験材科としてインドや東南アジアの稲をたくさん使うんですが、自分で集めに行っていらっしゃらない。向こうから送らせて、それを実験されていますので、インドや東南アジアの稲を現地では実際には余り見ていないのですね。
谷川……日本の学者の弊と言いますか、次点が出ているんですね。
渡部……戦前では海外調査も難しかったこともあったと思われます。それから三十年後、この『稲のアジア史』ですが、ここに暑いている私の友人や弟子たちは、大部分が京都にあまりいないで東南アジアなどをうろうろしている連中です。この分野は引用文献が少ないので、自分の目を信じたらいいというのが、私たちの学問の方法でした。これが全部正し

 

 

 

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