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技術が残っています。それから与那国、八重山にずっと入ってきます。スリランカは珊瑚確ではないと思いますが、非常に多いです。島の技術として成立しています。そういう踏み耕の分布圏とブルの分布圏は不思議に一致するわけです。ですから、ブルを持ってきて島づたいに来た人たちは、同時に踏み耕の技術を持って入ってきた可能性は高いのではないという気がして、そんなことを書いているんですけれどもね。
谷川……宇野圓空の『マライシアに於ける稲米儀禮』は大変な本です。あれは戦時中に出されたものです。
渡部……そうですね、昭和十九年ぐらいですか。
谷川……『マライシアに於ける稲光儀禮』を見ると、日本の農耕儀礼に共通するものがあり、特に私が参考になったのは、初穂儀礼です。田んぼに稲が実る前に、少しだけ稲穂を切り取ってきて、自分の家にもって帰る。主婦は自分の子どもを産むかのように、あるいは産褥にあるかの如く、それを抱いて寝るということが書いてあります。いわゆる稲魂を再生する儀礼なのですが、それは日本の新嘗の原型ではないかと思います。だから、インドネシアのブルが耕作されるあたりの地域に日本の稲作儀礼の原型があるのではないかと憶測しています。
渡部……いつも不思議に思うのは、『稲の日本史』に集まった先生方は、宇野圓空さんの本を読んでいるんでしょうが、採り上げ方が薄いんですね。あれはなぜでしょうか。
谷川……柳田さんがあまり注目していない。
護部……何か意図的なものがあるのでしょうか。あの努力はすごいと思いますよ。どうしてああいうお仕事を一人でやられたのか。しかも、ほとんど文献研究ですよね。それは柳田さんだけでなくして、安藤さんも採り上げないですよ。
谷川……日本では初穂儀礼はものすごく重要だと思うのですが、例えば大嘗祭の最初の行事として悠紀田、主基田で抜き穂行事を行う儀礼ですからね。ところが、『柳田国男全集』の索引を引いてみると、初穂儀礼はないんです。柳田さんは稲作の行事の中で最重要な点を見逃しているんです。これには驚きました。初穂儀礼は、最初の米を神に供えるわけですから、刈り上げの行事よりもはるかに重要なんです。そして、最初切りとった稲穂を母稲としてそれから子どもが生まれるという場合と切り取った稲穂自体を手稲という場合もあります。『稲の日本史』には、その重要なことが触れられていないんです。
もう一つ、私が気になるのは、南島のお正月に当たるシツという折り目です。シツを旧八月十五日と柳田さんは書いているんです。ところが、宮古あたりは六月です。それから、八重山では八月が盆行事と重なるので九月にしています。粟のシツと稲のシツというのはまた違います。粟が早く取れ、稲のほうがやや遅いので、シツが二つある場合もある。八重山でアカマタ、クロマタという稲穂を頭に飾った神が出ますが、昔は二回出たそうです。新城島では、粟のシツの時と稲のシツと二回出たといいます。まず、粟と稲が違いますし、また各島によって収穫口も違うのです。

きっかけになったモチ稲の研究

渡部……『稲の日本史』に集まられた先生方で、日本以外、例えば東南アジアを歩いているという方というのは浜田秀男さんだけではないでしょうか。柳田さんはヨーロッパは行ってますが。東南アジアは行っていません。それから安藤さんは戦争中に行かれたのかどうか分かりません。
松尾孝嶺さんは中国への経験がありますが、柳田さん、安藤さん、松尾さんの三人はともに東南アジアは余りご存知ない。
谷川……渡部先生は東南アジアヘはどういう縁で関心をお持ちになったのですか。
渡部……京都大学農学部は伝統的に探検をしながら学問をする伝統のようなものがありまして、在学中から、木原均先生が小麦の研究とかで中東へ出掛けたり、私の恩師、榎本中衛さんは中国の棉や稲に詳しかった。私はその驥尾に付したというということでしょう

 

 

 

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