中国雲南省ペイ族の郷村追儺劇…訳・星野紘 謝道辛
雲南省の少数民族が行う追儺について書かれた記録は、極めて少ないが、昔から追儺に似た祭祀儀礼は昔から相当に伝播していたと思われ、一部は今なお、生き生きと行われている。それらは、昔から変わらぬ原初の姿を維持し片田舎に残っていたり、また盛大な祭祀の祝典として民族の年中行事の中に混入していたり、あるいは奇怪な姿で民俗行事にとり込まれていたりしている。また、神を和めるものから娯楽へと発展していき、芸術芸能化していったものもある。
ペイ族の歴史は永く、早くから漢族の影響を受け、豊富な文化を伝承していった民族である。シャーマニスティックな追儺文化には、原始的なトーテミズム崇拝から発展した巫教があり、また仏教、道教の影響を受けながら形成された寺院系追儺の痕跡も見受けられる。さらに民俗化、年中行事化、芸術化した追儺祭祀もある。ペイ族が居住してきたのは、交通便利な大理とその周辺の平坦地であるが、そこは唐宋代には、雲南の経済文化の中心地となった。元明代以後は、漢族と歩調をほぼ一にして社会発展をしていった。多くの研究者は、大理を中心とする経済文化と漢民族のそれとの同一性に注目しているが、海抜の高い山地峡谷の辺境の地の文化に目を向ける人は少ない。まさにこういった山地にこそペイ族本来の民族文化が残されている。これら歴史が古く閉鎖された地域こそシャーマニスティックな地域文化を保存するのに格好の地であった。大理白旗自治州の雲龍県もそういう地域の一つである。
険しい自然のなか、古い歴史を持つ雲龍県
雲龍県は大理白族自治州の西部に位置し、東隣りが珥源県、漾嬶県、南の方が永平、保山、西隣りが怒江自治州、北境いが関坪、剣川である。県境いは瀾滄江一メコン河一が、雲南省西部域に形成している深い峡谷の地で、欄滄江、批江が北から南の方へ県内を横切っていて、怒江が西部の県境いに沿って流れている。そして怒山山脈と雲嶺山脈の二犬山系が県域内を貫き横たわっている。高山が連綿と続く峻険な峰、岩塊が重畳として山または山という様相を呈している。星が散らばるように高山が起伏して、犬小の河川がその間を縫うように流れている奥深い山地である。古くから「山国」と称され、雲南省では著名な山地である。
ここは交通は不便で文化も立ち遅れ、長い
雲龍県県庁所在地の町全体
雲南省地図
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