級の僧であった。労相氏の役を昆沙門天・龍天が演じていたことになる。鬼の役は誰れが演じたのかはっきりした記録がないが、賎民がすることがあったようである。
追儺の悪鬼がどのような相貌をしていたか明らかでないが、今日鎌倉時代の追儺の鬼面がわずかに残っている。福井県鯖江市多加志波神社に三面の鬼が所蔵されている。一面は新しいが元は三面であった。裏の銘によって蓮華寺の修正会に使用されたことが知られ、鎌倉時代のものであることを記してある。父・母・子の三鬼といわれているが、『勘仲記』に三鬼とある記事と一致していて興味があるし、今日も追儺面三鬼が伝わっているところは多い。鎌倉時代の追儺面と思われる鬼面は法隆寺、対馬海神神社などいくつかある。これらの鬼面の基本形は共通しているが、見た感じはかなり相違している。
対馬海神神社の鬼面
丹後国分寺の追儺鬼(左が陽、右が陰)
これら追儺の鬼面の特徴は、角を出していること、木彫の逆立つ髪・獣耳・牙である。鋭い目・飾り髭などは鬼神系の仮面に共通しているが逆立つ髪・角・獣耳の造形は追儺の鬼の特徴といえる。天邪鬼・地獄鬼の風貌である。
大分県国東半島の寺院に鬼会の行事が今日残っている。修正会にともなって行われる追儺である。ここの鬼面は法隆寺、鯖江の鬼面とは違った形式のものである。丹後国分寺に所蔵されている追儺の鬼面と相貎がよく似ている。追儺の鬼面にいろいろな形・相貌のものがあったことが知られる。
国東半島の古い寺に富貴寺がある。そこに鈴鬼と呼ばれる若い男女面がある。鈴鬼といっても鬼の相貌ではない。この男女面には裏に久安三年(一一四七)正月の修正会に使用されたと記してある。北九州の修正会に古くから鈴鬼が登場していたことは建治二年(一二七六)の頃のことを書いたと思われる『箱崎宮御神宝記』の弥勒寺のところに、鬼面・竜王・昆沙門面二、鬼子面二在鈴二とあることから想像される。鈴鬼がどういう系譜をもっているのかわからないが方相氏に従った振子を思わせ興味深い。
追儺は今日日本各地で行われている。中でも近畿の寺院で行われている追儺はその数が多い。今日の追儺で注目されることが一つある。追儺にでる追われる鬼を悪鬼と考えていないところが比較的多いことである。
神戸市押部谷近江寺では修正会に追儺が行われている。修正会当日本堂内陣で法会が
丹後国分寺の毘沙門天
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