
連盟のあゆみ
昭和28年5月 なぎなた連盟組織委員を作る。 昭和29年4月 学校におけるなぎなた指導教材を作成するため作成委員8名を挙げてなぎなたの研究協議を続ける。 昭和30年5月 全日本なぎなた連盟発足す。初代会長元侯爵山内禎子 昭和30年7月 なぎなた講習会開催について文部省後援願書提出。 昭和31年7月 19回にわたり研究討議された第一案「学校なぎなた」出来上がる。これを添付して女子体育教材として審議方を清瀬一郎文部大臣に提出して陳情する。 昭和32年4月 東京都に於て文部省関係官並びに体育審議員に先に提出した第一案「学校なぎなた」教材の実枝を公開する。 昭和33年10月 文部省体育局長清水康平殿に「なぎなた」を正課教材に決定方懇請書を提出する。 昭和33年11月 文部省後援による「なぎなた」指導者講習会を全国4ブロックにわけて行なう。 昭和34年5月3日 第4回より本連盟主催にてなぎなた選手権大会、第1回都道府県対抗なぎなた大会を行ない累年今日に及ぶ。 昭和34年7月20日 文部省体育局長宛「学校なぎなた」実施について願書と共に改善経過報告書を提出す。 昭和34年11月15日 日本体育協会津島寿一会長に協会加盟について申請する。 昭和34年12月24日 文部省次官通達にて待望の学校における「なぎなた」の実施についての公報あり、中学校以上の学校にクラブ活動として復活す。 昭和35年4月 文部省次官通達を機会として山内会長勇退。副会長小西静子昇進、会長となる。 昭和35年7月 文部省共催によるなぎなた指導者講習会第1回を開催、今日に及ぶ。 昭和37年8月 学校なぎなたの正しい普及のため第1回全国学生生徒なぎなた大会を本連盟主催にて開催。累年今日に及ぶ。 昭和38年7月 第14回五大都市体育大会に協賛種目として出場、正課種目として参加方懇情する。(会場京都) 昭和39年5月 本連盟発足10周年記念式典を挙げ功労者21名を表彰す。 昭和39年7月 第15回五大都市体育大会にオープンとして参加する。(会場大阪) 昭和40年7月 第16回五大都市体育大会に正課目として参加する。(会場神戸) 昭和40年11月〜昭和41年1月 各都道府県連盟代表者が上京し「なぎなた正課教材採択についての請願書」を衆参議長に提出す。 昭和41年2月 文体第79号「高等学校における弓道、レスリンク、なぎなた等の実施について」の通達あり。 昭和42年3月 文体第120号「高等学校における弓道、レスリング、なぎなた等の実施について」の通達により体育の時間に指導することが出来るようになった。 昭和43年4月30日 委体第26号により財団法人全日本なぎなた連盟が認可され旧連盟は解散し現在に至る。 昭和46年 なぎなたを正しく普及発展させることを目的として第1回なぎなた演技大会を行ない累年今日に及ぶ。 昭和48年11月5日 全日本なぎなた連盟の形作成委員会を設ける。 昭和50年8月2、3日 創立20周年記念大会を神戸市に於て開催する。物故者の慰霊祭、並びに功労者の表彰を行なう。 昭和52年5月23日 全日本なぎなた連盟の形4本完成する。 昭和53年6月28日 (財)日本体育協会に加盟す。 昭和53年8月8日 第11回全日本少年武道(なぎなた)錬成大会を武道館において開催。累年今日に及ぶ。 昭和53年11月28日 財団法人日本体育協会加盟記念なぎなた大会を開催する。 昭和54年4月〜 財団法人日本体育協会公認なぎなた競技上級コーチ養成講習会実施し、合格者36名
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