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農・非農転換を実現した。1950年代、経済発展が先行していた日本や都市国家の性格をもつホンコン、シンガポールを除く各国ともGDP構成比では農業が製造業を大きく上回っていた。農業のシェアは製造業のそれの2倍乃至3倍の大きさであり、中国、インドネシア、インドなどは農業のシェアそのものが5割前後と高く、アジア地域は正に農業社会というべき状態にあったのである。
農業のシェアが製造業のそれを下回る時期をもって農工転換とするならば、日本はいち早く1940年代に、韓国は1970年代、アセアン諸国はいずれも1980年代に、これを経験している。こうした農業シェアの低下という共通傾向は1980年代に入ると加速され、時期的には遅れていたアセアン諸国でも農業のシェアはそれぞれ20%前後に低下するまでになってきている。
後述するように、低位就業層を抱える農業のシェアの低下は、そのまま製造業のシェアの増大につながらず、インフォーマルセクターを含むサービス産業のシェア拡大につながり易いのはアジア地域の特徴ともみられるが、それはおくとしよう。農業と製造業のシェアの関係で、前者が後者を10%ポイント上回る時点から、逆に後者が前者を10%上回る時点までの所要年数でみると、多くの国で、たかだか20年に満たず、日本の経験(約30年)を上回るもので、転換の時期は、それぞれの国による差はあっても、転換速度からみれば、アジア地域のそれは、かなり高く評価されて然るべきであろう。(第1表参照)
ここでは表としては掲げていないが、各産業のシェアの変化の絶対値の合計で表わされる構造変化係数でみるとアセアン諸国をはじめとする各国のそれは日本の2乃至4倍という大きなものがある。日本は1980年代以降は相対的安定期に入るという性格を考慮しなければならないが、アジア諸国の構造変化の速度は日本の構造変化の大きかった時期をも上回ることから、アジア地域の産業構造の変化は奇蹟の成長に見合う奇蹟の構造変化と称しても差支えないであろう。こうした農工転換に比べれば、サービス経済化を反映した第3次産業化については、ホンコン、シンガポール、日本を別にすれば、多くの国で、サービス産業のシェアは90年代に入っても、韓国、タイがそれぞれ50%前後になっているものの、その他アセアン諸国では30〜40%と比較的低い。

 

 

 

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