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5 世界の食糧需給構造を支えた冷戦構造

 

世界の食糧需給の基調は、世界的な政治、経済構造の変化に深く規定されて、その大きな世界的流れの中で変化している。第二次世界大戦後の世界の食料需給を左右してきた基底には東西冷戦構造がある。東西冷戦構造の下で、世界は二分され、東側の社会主義諸国では市場経済が否定され、基本的に食糧の国内ないし圏内の自給が図られてきた。西側諸国では市場経済が原則とされ、国際貿易ではGATT体制の下で自由貿易が建前として目指されたが、実際は農産物の価格支持、生産調整、貿易制限等様々な形で政府が市場に介入し、自由な市場経済に伴う矛盾、社会的弊害を緩和し、農民、労働者の急進化、社会主義志向を防止しようとした。開発途上諸国ではかなりの国で社会主義的な計画経済と食糧自給政策が採られ、資本主義的な政策を基調とする国でも様々な農業保護による食糧増産が図られた。FAOや、国際稲研究所IRRIをはじめとして国際的な農業研究機関が設立され、アメリカを中心に西側先進国は開発途上諸国の食糧増産の支援してきた。東西の経済制度を巡る争いの場となったエチオピアなど一部の開発途上国では、先進国の余剰農産物処理の一環として食料援助が、その国の食糧の自立を長期的に見れば阻害し、さらに国内の経済混乱を深め、社会的政治的混乱に拍車をかけた。
このように東西の冷戦構造は世界の食料需給を根底において左右してきた。この結果、世界全体として見れば、「緑の革命」の成功に象徴されるように、人口の増加を上回る食糧増産が達成され、1980年代には世界的に食糧問題について楽観論が支配的となり、GATTウルグアイラウンド交渉では農業保護の削減が世界的な課題とされるようになった。このような冷戦時代の世界の食料需給の趨勢をそのまま将来に延長していけば楽観的な見通しが得られことは明らかである。
ところが、1980年代末にいたり、東西冷戦構造は崩壊し、社会主義的計画経済はソ連、東欧、中国などにおける壮大な歴史的実験に失敗した。これに伴い、世界の食料需給構造も大きく変化し、食糧も世界的な商品市場の一環に最終的に組み込まれ、世

 

 

 

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