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■児童虐待増加に「民の力」で対応
≪里親に委託は1割以下≫
児童虐待の増加で各地の児童養護施設が定員超過の状態にあるという。一方で里親のもとで暮らす子供は全体の1割にも満たず、極端な施設偏重型となっている。 少子化をはじめ学校の荒廃、親による虐待の増加など子供社会を取り巻く環境は大きく変化している。施設への収容を中心に進められてきた児童養護も、大胆に発想を転換し民の力を活用した里親型に切り替える時期に来ている。 子供は親だけの子ではなく、次代を担う“国の宝”である。虐待で傷つき、不安とおびえを抱える被虐待児の成長には、里親の愛情に抱かれた温かい家庭的環境こそ必要である。 日本では現在、全国558カ所の児童養護施設で3歳から18歳までの子供約3万4000人が暮らしている。これに対し里親のもとで生活する子供は約2200人にすぎない。 実親が子供との親子関係にこだわり、里親委託を望まない日本的風土もあるが、一方で、子供を里親より施設に優先的に入所させ、定員の確保を図る動きがあるのも否定できない。子供の育成より施設の経営が優先された形で、これでは本末転倒である。
≪制度未整備のまま放置≫
しかし何よりも、里親制度が未整備のまま半世紀以上、放置されてきた点が大きい。この結果、最盛期1万5000人を超えた里親登録者は現在7500人に半減している。 国や自治体が出す経費(措置費)も養護施設の児童1人当たり月30万円に対し、里親への手当は平均8万円と大きな開きがある。 里親は、ボランティアではなく子育てのプロでなければならない。それにふさわしい待遇に改善する必要がある。ネックとなっている居住環境を改善するための補助金制度なども必要となろう。 こうした見直しを進めることで、里親制度を人的、質的に拡充し、児童養護の核とすることが可能となる。日本財団も過去30年近く支援してきた経験を踏まえ、里親の育成に向けた環境整備に協力したいと思う。 施設中心の政策は「民」の力が弱かった終戦直後の発想である。集団生活である以上、多くの規則があり、日常生活が画一的になるのも避けられない。子供は施設と昼間に通う学校の双方で規律に縛られ、地域社会の中で普通の家庭生活を体験する機会も乏しい。 こうした欠点を補うため、18歳の入所年齢が終わると、社会生活に適応できるようマナー講座を開設する施設もある。しかし短期間の講習で社会の常識、適応力を身に付けるのは極めて難しい。
≪子供の育成は百年の計≫
戦後60年を経て「民」の力は飛躍的に拡大し、国や自治体に依存してきた公益事業の多くを「民」が引き継ぐ時代を迎えている。児童養護を施設中心から里親中心に切り替える社会環境は十分に整っている。団塊世代の大量退職時代を迎え、福祉や教育、保険、看護など必要な専門的知識を身に付けた人材も豊富にある。 現在の養護施設が不要と言うのではない。被虐待児に限っても本人の性格、家庭環境はそれぞれ違う。一定期間、施設で預かり本人の適性を見極めた上で、最もふさわしい里親を見つけることが「癒やし」につながる。 里親も時には息抜きが必要であり、子供や里親が交流する拠点も欠かせない。児童養護施設は、こうした活動を進めるための拠点として機能するのが望ましい。 教育現場の混乱や児童虐待の背景に親の子育て力の低下が指摘されて久しい。親学の再生が叫ばれ、改正教育基本法にも子育ての第一義的責任が保護者にあることが明記された。 しかし、取り組みは始まったばかり。児童虐待の増加で保護を必要とする子供も確実に増える見通しだ。現に平成17年度、養育遺棄(ネグレクト)を含めた児童虐待の相談件数は3万4000件と過去最高を数えた。 日本では老人福祉、障害者福祉とも施設整備を中心に施策を進めてきた。それが老人や障害者と社会全体とのかかわりを希薄にし、無力感を生む一因ともなっている。 まして子供の健全育成は国家百年の計であり、多くの家庭の協力なくしてはなし得ない。国や自治体の取り組みだけで実現できるテーマではない。2代、3代にわたる息の長い取り組みが不可欠である。国民一人一人が参加した「民」の活力こそ、これを支える力と確信する。 (ささかわ ようへい)
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