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二〇〇一年九月十一日に米国で発生した同時多発テロ以降、世界の海上交通の要衝では、テロリズムの脅威が叫ばれ、沿岸各国政府は、テロリズムに対する自国の警戒体制の確立と国際的な協力体制の構築を急がなければならない状況となっている。また、東南アジア、アフリカ沿岸部では、重武装化した海賊が横行し、世界の物流を支える船舶の安全を守るための対応が求められている。 二〇〇五年防衛白書の世界情勢の欄にマラッカ海峡が危険性を孕んだ海域であることが、記載されている。世界における海賊や海上武装強盗の半数以上が、マラッカ海峡を中心とした東南アジア海域において発生しているからだ。特に近年、マラッカ海峡に発生する海賊の重武装化が進み危険度を増している。ニ〇〇四年にマラッカ海峡内に出没した海賊はすペてが武装化していた。また、マラッカ海峡の海賊グループは近隣諸国で活動するテログループや軍事機関から武器を入手しているようだ。海峡における安全航行の確保は困難な状況にあると言える。
韋駄天号事件
二〇〇五年三月十四日、日本人を震撼させる事件がこのマラッカ海峡で発生した。マラッカ海峡北西部のペナン島沖海域で、日本船籍の外洋型タグボート「韋駄天(四九八トン)」が海賊に襲撃され、日本人の船長、機関長とフィリピン人の三等機関士の三人が誘拐されたのである。「韋駄天」 は、インドネシアのバタム島とシンガポールに挟まれた海域から石油掘削プラントをミャンマーヘ向け曳航中であった。 あたりが暗くなり始めた午後六時三十分ごろ、六ノット程度の低速で航行中の韋駄天に一隻の漁船が近づいてきた。そして、突然、この漁船の中から海賊グループが現れ、韋駄天に向け銃撃し、船に乗り込んできた。タグボートである韋駄天は甲板での作業効率を重視しているため舷が低く、簡単に海賊に乗り込まれてしまった。 韋駄天の船員の証言によると、海賊グループは、十人で構成され、統制がとれた訓練を受けた組織であるとの印象を受けたそうだ。十人全員がライフル銃、自動小銃、ロケットランチャーなどの武器を所持し、まるで軍隊のようであったという。 海賊は船内を制圧すると、船籍証明書類、海図を略奪し、三人の人質を連れインドネシア方面へと逃亡していった。犯行に要した時間は、わずか十分ほど。海賊にとって目的は、あくまでも人質を連れ去ることであり、積荷や船用金が入った金庫には見向きもしていない。近年、マレーシアをはじめとしてマラッカ海峡沿岸国の海賊警備の強化体制が敷かれており、海賊にとって犯行に手間取り時間がかかると、警備当局の追跡を受けることになりかねないからである。
海賊は、追跡をかわすため、何隻かの漁船を乗り継ぎながら、三人の人質を隠れ家に連れ込んでいる。最近、マラッカ海峡内で発生した海賊事件で犯行に使われた船の多くは、漁船をのっとり調達したものである。マラッカ海峡沿岸部には、海賊たちが襲いやすい小型漁船が数多く存在している。漁民たちは、海賊に襲われると 「あきらめ顔」 で言いなりになっているようだ。この漁民たちもたびたび海賊の獲物となってしまう。金品や時には、エンジンを奪われてしまうこともある。マレーシア沿岸部では、あまりにも多く海賊が出没するために沖合への出漁をやめ、沿岸部だけでしか操業できなくなったと海上警察に対し被害を訴えてきた漁民もいる。 人質となった船員はインドネシア国内と思われる隠れ家を転々と移動させられ、その間、別に誘拐された人質を目撃している。海賊たちは、複数のグループに分かれ誘拐事件を起こしているようだ。 マラッカ海峡においては、ここ数年、身代金を目的とした海賊による誘拐事件が多発している。ニ〇〇四年には、海峡内において三十六人の船員が身代金目的で誘拐された。 韋駄天事件が起こるわずか二週間前の二月二十八日にも同じペナン沖海域でマレーシア船籍のタグボートが石炭を載せたバージを曳航していたところを銃で武装した海賊に襲われ、船長と一等航海士が誘拐される事件が発生し、IMB (国際商業会議所国際海事局)の海賊通報センターから海賊警戒情報が流されたばかりであった。
韋駄天号の誘拐された三人の船員は、三月二十日未明にタイ国南部のサトゥーン県沖で通りがかりの漁船に乗せられ解放された。事件発生六日後と、海賊事件としては極めて早い解放である。この解放のための交渉は、在マレーシアの日系企業の従業員が窓口となり、数人のマレーシア人を介して行われた。当初、プロの交渉人を立て犯人グループと接触を図ることが検討されたが、経費と時間が多大にかかることから成り立たず、東南アジア独特の人づて社会を利用することにより成果を得ることができた。
マラッカ海峡
マラッカ海峡は、マレー半島とインドネシア・スマトラ島に挟まれた東西の長さが、四キロにおよぶ海峡である。マレーシア、インドネシア、シンガポール、タイが沿岸国となっている。海峡内の海底には、浅瀬、暗礁が多く、また、沈没船も数多く存在することから航路幅が狭く、世界有数の航行の難所として通航する船乗りたちを有史以来、悩ませてきた。 マラッカ海峡は、大航海時代以前からアジアと中東、欧州を結ぶ重要航路であった。十五世紀初頭、明の皇帝・永楽帝は、アジア各地に艦隊を派遣し、近隣諸国に対し、明への朝貢を促すとともに、官営貿易を計画していた。その中で、東南アジアから中近東、北アジアまでの国々を担当し、航海を行った艦隊の司令官が鄭和である。鄭和は、二万人を超える遠征隊が分乗した二百隻を超える艦船を指揮していた。後の世に 「鄭和の南海大遠征」 と呼ばれるものである。都合七回行われたこの遠征は、マラッカ海峡を経由し行われた。鄭和は、大艦隊の中継基地として海峡中央部にあり、河口の良港を持つ小国マラッカ (ムラカ)に宮廠を置いた。鄭和の大艦隊が明の海禁政策により来航しなくなると、マラッカ王国の国王は、貿易の取引相手としてモスリムを選び、王自身、イスラム教徒となった。以後、マラッカは貿易の中継都市として、繁栄したが、アジアの産する香辛料や生糸などを欧州に運ぶことによりもたらされる富を求めたポルトガル、英国による武力侵略を受け、およそ五百年にわたり植民地となった。
現在のマラッカ海峡沿岸諸国では、インド系、マレー系、インドネシア人、タイ人、華人など人種も混在し、また、イスラム教、仏教、キリスト教、ヒンズー教など多数の宗教が交錯し共存している。 このマラッカ海峡は、世界一船舶の通航量の多い海域である。一九九九年のデータによると年間七万五千五百十隻の大型船が通航するアジアと中東、欧州を結ぶ大動脈となっている。また、マラッカ海峡は日本の生命線とも呼ばれている。マラッカ海峡の最大利用国は、日本である。年間一万三千七百六十四隻の日本船主が保有する船が通航している。 日本が輸入する石油の八十パーセントがこの海峡を利用し運ばれているからである。一日三隻のVLCCと呼ばれる大型タンカー(二十万トンクラス)に満載されて運ばれる石油により日本人の生活が支えられているのである。
世界の海賊被害
世界中で発生した海賊被害は、ICC(国際商業会議所)の海事部門であるIMB (国際海事局) が取りまとめている。IMBは、海運会社、損害保険会社、商社、荷主組織などを会員とする異業種連携のための国際的な組織である。IMBでは、多発する海賊被害から会員の船、積荷、船員を守るため、一九九一年、海賊多発地帯であるマラッカ海峡の近くにあるマレーシアのクアラルンプールに海賊情報センターを開設した。このセンターでは、海賊被害を受けた船舶、海賊を目撃した船舶などから報告を受け、航行中の船舶や沿岸国の警備機関に対し、警報の発信や情報提供を行っている。また、航行中の船舶が行方不明になったときなど捜索活動の中心となり活動する。IMBは、民間機開であるが、現在、海賊対策機関としてはもっとも信願できる組織である。
IMBが統計を取り始めてから、海賊事件が最も多かったのは、二〇〇〇年で四百六十九件の発生が報告されている。九〇年代後半から東南アジア海域では、船ごと積み荷を奪う国際海賊シンジケートによるハイジャック事件が多発していた。一九九八年九月、日本の船社が所有する貨物船 「テンユー号」 が、インドネシアのクアラタンジュン港でアルミインゴット三千トン (時価三億五千万円) を積み、韓国の仁川へ向かい航行中、マラッカ海峡内で消息を絶つ事件が起こった。その後テンユー号は、中国の揚子江沿いの河川港「チャンジャガン(張家港)」で船名を変えられ停泊しているところを発見されたが、乗っていた韓国人の船長・機関長と十二人の中国人船員は未だ行方不明である。積み荷は、韓国人ブローカーの手により売却されたようである。中国政府は、テンユー号を操船していたインドネシア人を海賊とは扱わず、インドネシアに送還している。また、日本の船主に対し、係船や引渡しに関する経費として一億円近くを要求し、船主はおよそ二千万円を支払っている。この中国政府の対応は国際的な非難を受け、以後、中国当局も海賊対策に関して厳格なスタンスを取るように政策転向している。
翌九九年十月、テンユー号と同じ、クアラタンジュン港でアルミインゴット七千トン (時価十二億円) を積んだ日本の貨物船「アロンドラ・レインボー号」 (パナマ船籍) が、福岡県の三池に向けマラッカ海峡を航行中、海賊に襲われ、船ごと積み荷を奪われる事件が起こった。この事件では、船長、機関長の二人の日本人が被害にあったことから日本国内でも注目を集める事件となった。 アロンドラ号には船長以下十七人(日本人二人、フィリピン人十五人) の船員が乗っていたが、船員は、漁船と思われる別の船に移され六日間拘束された後、救命筏に乗せられマラッカ海峡内に放置された。船員は、わずかな水と食料が与えられただけで、十日間、海峡内を漂流したが、偶然に通りがかったタイの漁船により救助され、全員無事に生還することができた。 アロンドラ号は、海賊の手によりカリマンタン島のミリという町の沖合いで船体を黒く塗り替えられ、船名も書き換えられた。また、この時、積み荷の一部(三千トン)を別の船に移し変えている。その後、この積み荷の一部は、中国人系の密売業者の手に渡り、フィリピンで発見されている。 IMBは、船主の依頼を受け、アロンドラ号の捜索を行った。IMBは、テンユー号事件の教訓を生かすとともにそれまでに培ってきた情報網を使い、インドから中国までの沿岸国の警備機関にアロンドラ号の外形や特徴などの情報を提供し、捜査協力を依頼しさらに、懸賞金をかけ付近を航行中の船舶に発見につながる有効な情報の提供を求めた。懸賞金の額は、当初十万ドル、後に増額され二十万ドルとなった。この懸賞金は、損害保険会社により手当てされた。 メガラマと船名を変えたアロンドラ号は、海賊一味により操船され、インド洋を西に向かって航行しているところをインドのコーストガードと海軍により拿捕された。
インド洋を航行中のコンテナ船からアロンドラ号らしき不審な船が西に向け、航行しているとの情報がIMBに報告され、IMBはインド・コーストガードに出動要請を行った。インドでは、海軍とコーストガードが連携し、アロンドラ号を捜索し、足掛け三日にわたって追跡し、銃撃戦の末、海賊グループとともに捕捉することができた。なお、懸賞金は、インド・コーストガードおよび海軍の作戦に従事した機関に渡されている。逮捕された海賊は総勢十二人、全員インドネシア人で、現在マドラスの刑務所で懲役七年の刑に服している。この海賊のうち二人は、テンユー号事件の際、中国で船が発見されたときの乗員であったことが判明している。 アロンドラ・レインボー事件の発生は、アジア各国の政府機関、船社などに対し、国境、海域を越え活動する海賊に関する警鐘を鳴らし、海賊対策における国際協力体制の構築の契機となった。
海賊対策に関する国際協力
二〇〇〇年四月、日本の海上保安庁を中心に、東京で海賊対策国際会議が開催された。一九九九年秋に、国際的な海賊事件の増加に危機感を持った日本財団笹川陽平理事長(現会長)から、当時の小渕総理大臣に対し、海賊対策に関する協力推進のための国際的な会議の必要性が提案されたことにより具体的な会議の開催となった。この会議においては、アジア各国の複雑な海岸線、入り組んだ海上に存在する国境など海上警備の問題点が各国の報告によりクローズアップされ、その対策として、各国警備機関相互の情報連携体制の構築、警備体制強化のための国際協力、人材育成方策などが話し合われ、「海賊対策チャレンジ2000」としてまとめられた。この海賊対策チャレンジ2000は、その後のアジア海域における海上警備における国際協力体制の基本となっている。 以後、アジア各国の海上警備機関は、毎年、持ち回りの形で海賊対策専門家会合を開催している。既にマレーシア、インドネシア、フィリピン、タイと開催され、人的な協力体制も強固になってきた。また、海上保安庁では、ヘリコプター搭載型の大型巡視船をアジア海域に派遣し、沿岸国各国との合同訓練を行い、警備、捜査などの技術面における相互研鑽を行っている。 アジア海域における国際的な海上警備体制の構築により、国際海賊シンジケートによる船ごと積み荷を奪うようなハイジャック型の海賊事件は減少するようになった。 しかし、東南アジア海域において新たなタイプの海賊問題が発生した。テロリスト型海賊と呼ばれる誘拐を目的とした武装海賊である。二〇〇一年六月末、インドネシアの反政府組織「自由アチェ運動」のスポークスマンは、マラッカ海峡を航行しようとする船舶は自由アチェ運動の許可を受けなければならないと宣言し、実際に航行中の小型タンカーを襲う事件を起こした。以後、自由アチェ運動と思われる海賊グループがマラッカ海峡内で、頻繁に海賊事件を起こすようになった。インドネシア軍は、自由アチェ運動やジャマ・イスラミアなどの反政府組織が海賊に関与していると指摘してきた。反政府組織によると思われる海賊事件の特徴は、自動小銃やライフル銃で武装したグループが小型のタンカー、タグボート、漁船など乗り込みやすい船を襲い、船員を誘拐し、身代金の要求をするところにある。近年、マラッカ海峡沿岸部で、誘拐を目的とした武装海賊は、テロリスト型海賊と呼ばれている。
二〇〇五年八月十五日、インドネシア政府と自由アチェ運動の和平協定が調印された。海賊の構成母体とされてきた反政府組織は武装解除され、表面上は解散される。今後問題となるのは、アチェ地方に蔓延してしまった武器の動向である。再び武器が海賊やテロリストたちの手に渡らないように監視の目を厳しくしなければならない。マラッカ海峡に真の平和が訪れることを望むところである。 アジア海域においては、九〇年代の経済危機以降、内戦や宗教・民族紛争に関係し武器が流通している。また、時折、アルカイーダ系の船舶が武器を輸送し、活動しているという情報が流れている。世界一の石油精製基地を持ち、港湾機能が国の礎となっているシンガポールでは、海上テロを警戒するために海軍、ポリス・コーストガードなどが合同で特別警戒体制に入っている。海賊事件で使われた武器の種類も多種多様となり、危険度を増している。海賊がロケット・ランチャーを所持していたケースもたびたび報告されていて、海上はまるで戦場さながらの様相を呈している。
今後の海賊対策
一時沈静化に向かうかと思われた海賊被害も二〇〇三年、海賊の武装化とともに再び増加傾向になった。二〇〇四年六月、凶悪化した海賊問題と海上テロ対策を話し合うため、アジア海上警備機関長官級会合が束京で開催された。この会議は、日本財団の提案を受け海上保安庁が中心になり開催されたもので、海上テロという新たな脅威に対し、アジア各国の海上警備機関の代表が一堂に会し、国際協力のあり方を話し合う初めての会合であった。しかし、海上テロが議題となると各国の対応に食い違いが生じた。インド、中国などの国では、海上テロヘの対応は海軍の所掌であり、海上警備機関では国家を代表しての発言ができないなど、国により安全保障体制が異なるのである。
実際に、現在の海賊は、重武装化されテロリストとの区別がつかない。また、テロリストが資金源のため海賊行為を行っている可能性も否定できない。海賊とテロリストが一体化されつつあるのだ。対応する側も既存の制度にとらわれない新しい枠組みをつくる必要があるだろう。具体的には、国防機関と警察機関の組み合わせにより海上における治安維持を検討すべきではないのだろうか。 我が国においても、海上で重武装化したテロリストなどの「敵」から国民の生命、財産を守るためには、海上自衛隊と海上保安庁の密接なる協力関係が必要であろう。海上自衛隊の広範囲な情報収集力や高度な自衛力を行使し、海上警察力と組み合わせ、海上から忍び寄る危機から国民生活の不安を払拭する必要があろう。 今年八月、シンガポール沖で行われたPSI(核拡散防止イニシアチブ)の海外での合同訓練に海上自衛隊がはじめて参加した。今まで日本からは、海上保安庁のみの参加で海上自衛隊はオブザーバーであったが、今回から正式な参加となった。 日本の生命線であるシーレーンの安全を確保するために海上保安庁と海上自衛隊が協力して臨む姿は、国際的に見ても自然な姿であると感じられる。
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