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著者: 山田 吉彦  
記事タイトル: 我が国の領土問題等  
コラム名: COLUMN  
出版物名: (社)日本港湾協会  
出版社名: (社)日本港湾協会  
発行日: 2005/10  
※この記事は、著者と(社)日本港湾協会の許諾を得て転載したものです。
(社)日本港湾協会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど(社)日本港湾協会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  北方領土

 北方領土とは、日本固有の領土でありながら、第2次世界大戦後、ソビエト連邦により武装占拠され、現在もソ連を踏襲したロシアにより実効支配されている北海道の北東海域にある島々をいう。具体的には、択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島のことであり、北方4島という呼び方をする。晴れた日には納沙布岬や知床半島から海峡越しに直ぐ近くに見ることができる。
 北方4島の面積は合わせて、5,036km2、およそ千葉県の面積に匹敵する。1945年、ソ軍が侵攻するまで、4島には1万7,291人が住んでいたが、ソ連政府により強制的に退去させられ、多くの人が北海道に移り住んだ。現在の北方4島は、ロシア共和国サハリン州の管理下にあり、約1万4,300人のロシア人が漁業、水産加工業などを中心に営みながら生活している。
 日本とロシアの間で、初めて国境線が定められたのは、1855(安政元)年に伊豆下田で締結された日露通好条約である。この条約での国境線は、ウルップ島と択捉島の間に境界線がひかれ、この線の南側が日本領と確認された。樺太については、境界線を作り分断することはせず、日本とロシア両国民の雑居地とした。
 1875(明治8)年には、樺太千島交換条約が締結され、千島列島全島が日本に譲渡されその代わりサハリン全島がロシアの領土となった。その後、日露戦争の戦後処理のためのポーツマス条約により、サハリンの北緯50度線以南の地が日本へ割譲された。

 第2次世界大戦後、国際的な戦後処理を取り決めたサンスランシスコ平和条約(1951年)では、敗戦国日本は、近代国家として成立した明治期以降に軍事力を持って拡大した領土の放棄を求められた。その中で、千島列島と樺太南部の放棄が含められている。北方4島は、日露通好条約により平和的に日本固有の領土であることが認められているので、放棄すべき千島列島には含まれていないというのが日本の立場である。
 第2次世界大戦後の国際情勢は、米ソ対立による束西冷戦にあり、ソ連の日本に対する政策も強硬路線であった。多くの住民が、生まれ住んだ島を追い出されただけでなく、北方海域を生活の場としていた漁民が4島沿岸からしめだされ、ソ連の定めたルールに従わない漁船は容赦無く、銃撃され拿捕された。
 現在も北方4島の返還交渉は遅々として進んでいない。日本国内の意見も四島一括返還論と二島先行論のふたつに分かれている。二島先行論とは、1956年の日ソ共同宣言において、両国の間で平和条約が締結されたならば色丹島、歯舞諸島は返還するとうたっていることから、まずは実現可能性の高い2島の返還を受け、以後の交渉を進めていこうとするものである。2004年ロシアのプーチン大統領は、日ソ共同宣言の責務は果たすことを明言している。現在のロシア政府は、冷戦も終結しており、ロシア国内経済の改善のために日ロの友好的関係をのぞみ、2島返還を打ち出している。

 本質的には、四島一括返還が当然のところである。しかし、現在、北方4島ではロシア人の社会が択捉島、国後島を中心に実在している。両国民が平和的に暮らしてゆく方策を実現的に考え、北方領土の返還交渉にあたる必要があろう。
 北方海域の漁業資源は、今後の日本人に生活にとって貴重なものである。また、サハリン周辺海域の海底に眠る地下資源も魅力的である。隣国ロシアとの関係は、日本人の未来に大きな影響を与えることになるだろう。

沖ノ鳥島

 日本に熱帯気候に属す島があることをご存知だろうか。東京から南へ約1,740kmの太平洋上に沖ノ鳥島がある。北緯20度25分、東経136度04分。ハワイのホノルルやベトナムの首都ハノイよりも南に位置する、南国の島である。
 沖ノ鳥島は、九州・パラオ海嶺上にある海山で、その頂上に発達した東西約4.5km、南北1.7kmの珊瑚の環礁の中にある北小島、東小島という2つの「島」で構成されている。北小島、東小島合わせても2坪程度の面積であり、無人島である。行政区域としては、東京都小笠原村に属している。この島の管理は、国が直接行うことになっているため国土交通省京浜河川事務所が管理者となっている。1987年、建設省(現国土交通省)は、波による侵食を防ぐため、この2つの島の周囲をそれぞれ直径50mほど鉄製の消波ブロックとコンクリートによる保全工事を行った。この土事にかかった総工費はおよそ300億円である。
 国連海洋法条約における島の定義は「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」と定められている。高潮時とは、満潮の中でも最も潮が高い時であり、北小島は16cm、東小島は6cm高潮時にも水上にあらわれている。したがって、沖ノ鳥島は国際法の規定による「島」の条件は充たしていることになる。
 この「沖ノ鳥島」の存在の意義は大きい。沖ノ鳥島は南海の孤島であり、この島を基点とした排他的経済水域は、他国の領土・領海に影響されることが無く、日本の国土の面積よりも広い40万km2にも及ぶ。わが国はこの広い海域における海底資源の開発権、漁業管轄権、海洋調査権などの未来の社会に残せる財産を持っているのである。

 2004年4月、日中事務レベル協議の場において、中国外務省の担当者は、「沖ノ鳥島は、国連海洋法条約第121条3項でいう『岩』であり、排他的経済水域を有しない」と発言している。同条約3項とは、経済的生活が行われていないものは「岩」であり、排他的経済水域を主張することが認められないというものである。
 沖ノ鳥島沿岸域は、米国海軍の基地があるグアム島と東シナ海を結ぶ線上にあり、日米両国の潜水艦が活動する範囲である。中国政府の発言は、この海域における海洋調査を自由に行うため、排他的経済水域による海洋調査権を持つ日本を牽制したのである。
 国連海洋法条約における経済的生活とはあいまいなものである。海鳥の糞を集めて肥料として売るだけでも経済的生活と認められている。日本政府は、現在、沖ノ鳥島海域で気象観測やサンゴ礁の調査、コンクリートや金属類の耐久性能試験など行っていて、これをもって経済的生活としている。また、2006年度には、海上保安庁により灯台が設置され、世界の灯台表や海図に記載されるようになる。
 沖ノ鳥島が日本の領土であることは、中国を含め異存をはさむ国は無い。領土内において経済的生活を営むかどうかは主権の範囲内であり、日本として有効な活用策を推し進めて行けるかが問題なのである。

尖閣諸島

 尖閣諸島とは、東シナ海に浮かぶ魚釣島、久場島(黄尾嶼・こうびしょう)、大正島(赤尾嶼)、北小島、南小島など8つの島の総称である。現在は、沖縄県石垣市に属しているが、いずれも無人島だ。最も大きい魚釣島で、石垣島の北北西170kmに位置し、台湾からもほぼ同じ170kmで、中国大陸からは330キロの距離にある。
 1895年(明治28)、明治政府は、尖閣諸島が清国政府の影響下にないか、先住民がいないかなどを慎重に確認したうえで、閣議決定を行い、翌年、沖縄県八重山郡に編入している。
 尖閣諸島の存在は古くから知られていた。中国と琉球との貿易船は、魚釣島を航路の目印とし、琉球の漁民は、「ユクンク・クバジマ(魚が獲れビロウが茂る島)」と呼び生活圏としていたようだ。
 尖閣諸島の開発は1884年(明治17)、福岡県出身の実業家古賀辰四郎氏がこの島々を探検したことにより始まった。1896年、〉古賀氏は、政府からこの島々を30年間の契約で無償で借り受け、本格的な開発に乗り出した。一時期、尖閣諸島には魚釣島を中心に鰹節工場や海鳥の剥製工場が作られ200人を越える人が生活していた。現在は、大正島のみ政府の所有地で、他の島は個人の所有地を政府が借り止げて管理している。
 尖閣諸島の領有権問題が発生したのは、1968年(昭和43)、国連アジア太平洋経済委員会(ECAFE)が東シナ海の海底を調査した結果、尖閣諸島近海の海底に埋蔵量豊富な油田がある可能性が高いと、翌年、調査報告書で公表してからである。
                              
 1971年、石油の利権を求め、台湾と中国が相次いで、尖閣諸島の領有権を主張した。中国の古文書に、台湾の近くの島として魚釣島(魚釣臺)の名が記載されているところから、尖閣諸島を台湾の一部であると主張しているのだ。78年には、日中平和友好条約締結に向けての交渉が行われているにも関わらず、約100隻の中国船が尖閣諸島近海にあらわれ、領海侵犯を繰り返す事件が起こった。
 2004年3月、中国の反日活動グループ7人が、魚釣島に不法上陸する事件を起こし強制送還されている。リーダーと見られる男は、01年8月靖国神社の狛犬にスプレーで落書きをして逮捕された前歴があった。海上保安庁では、現在も中国船の領海侵犯に備え常時、巡視船による警戒態勢をとっている。
 歴史的に見て尖閣諸島を日本以外に領有していた国は無い。第2次世界大戦後は、米国に信託統治されていたが、1972年に返還されている。
 台湾の国家的指導者である李登輝前総統は、新聞社のインタビューに応え、尖閣諸島は沖縄に所属しており、結局、日本領であり、中国の主張には証拠が無い旨、発言をしている。
 尖閣諸島は明らかに日本の領土である。しかし、台湾漁民の立場は考慮する必要があろう。第2次世界大戦終了まで、台湾は日本の一部となっていたため台湾の漁民も尖閣諸島海域まで出漁していた。しかし、現在では、日本の排他的経済水域内での操業は認められていないのである。結果的に戦後、海上に国境という見えない壁ができ、かつて台湾の漁民が操業していた海域から締め出されたままなのである。

竹島領有権問題

 1910年、日本が韓国を併合したのは歴史的な事実である。以後、第2次世界大戦が終了するまで、35年間にわたり、韓国国民は、他民族である日本人が主体となった政権下での生活を余儀なくされた。私たち現代に生きる日本人の多くは、戦後生まれである。私たちは、今後の東アジアの恒常的な平和の維持のためにも両国の不幸な歴史を学び、過ちを二度と起こさない社会を作って行かなければならない。感情論を越え、共通の歴史認識や社会的な認識を作り出す必要がある。竹島領有権問題も日韓両国で共通認識をもたなければいけない問題のひとつである。

 竹島は、日本海に浮かぶ絶海の孤島である。北緯37度15分、東経131度52分、隠岐島の北西15kmに位置している。
 日本が竹島を正式に領有したのは、日韓併合以前の1905年、当時竹島近海では、アシカが回遊し、あわびなどの魚介類も多くとれる好漁場であり、島根や鳥取の数多くの漁民が出漁していた。
 歴史的に見ても日本以外の国が竹島を領有していた記録は無い。韓国サイドは、19世紀に鬱陵島を朝鮮が支配していたところから、竹島をも自国の領土と拡大し主張しているが、鬱陵島と竹島を同一視するには距離が離れすぎている。
 第2次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約により日本は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島および鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権限および請求権を放棄することを求められた。竹島は、この条約では日本固有の領土であることが認められ放棄すべき島に含まれていなかったのである。
 サンフランシスコ平和条約の原案を入手した韓国は、竹島の領有を希望したが国際社会からは受け入れられなかった。そのため、韓国は強行策にでた。1952年、韓国初代大統領・李承晩(イ・スンマン)は、海洋主権宣言を発表し、一方的に主権を保持する海域を定め、その中に竹島を取り入れてしまったのである。この専管水域は、李承晩ラインと呼ばれる、この海域に越え韓国側に近づいた漁民たちは銃撃を受けたり、拿捕されたりしている。
 8月に韓国政府が公表した日韓国交正常化交渉に関する文献の中に竹島問題に関する部分が含まれていた。1962年、当時の大平外務大臣は韓国政府に対し韓国の領有権問題を国際司法裁判所に委ねる提案をしたが、韓国の国民感情を理由に断られた経緯が記載されている。また、第3国の調停を求める案も提案されているが、現在まで先送りされてきたのが現実である。
 韓国が竹島を占拠してから既に50年以上が経過し、現在は、韓国の武装した海洋警察により警備されており、日本人が近づくことはできない。
 韓国では国民運動として竹島領有権問題を取り上げている。竹島はわが領土というような流行歌を作りカラオケで歌っている。また、竹島の切手を発行したり、竹島へ観光船を出すなどの動きが活発である。それに引き換え、日本側の対応は淡白で、2005年3月、島根県は竹島の日を条例で制定したが、日本国政府としての具体的な動きは無い。問題を先送りしているようだ。
 韓国が竹島を実効支配している期間は、日本が正式に領有していた期間よりも既に長くなってしまった。いち早く、国際社会に問い竹島の領有権を明確にしなければならないだろう。日韓両国の間にある問題を一つ一つ正確に解決して行かなければならない。

東シナ海大陸棚問題

 中国は、東シナ海の海底に眠るガス油田の掘削事業を進めている。早ければ2005年の秋にも春暁の海底ガス油田からガスの生産を開始する可能性がある。春暁のガス油田は、日本の主張する日中中間線から5kmほど中国側に入った場所にある。中国は、春暁のほか中間線から70kmの平湖ガス油田や同じく9km離れた天外天でもガス油田の開発に着手している。中間線付近のガス油田の地質構造は日本側海域の海底まで続いていることから、日本側に眠る天然ガスまでもがストローで吸うように取られてしまう恐れがある。本年、ようやく日本政府は対抗策として、日本企業に対し東シナ海における中間線付近日本側海域の試掘権を許可している。
 国連海洋法条約において海底資源の掘削権は、排他的経済水域を持つ国、もしくは大陸棚を認められた国が持つことになっている。東シナ海の海底は、ユーラシア大陸から緩やかに太平洋に向かい傾斜し、我国の琉球列島の西およそ100km付近、沖縄トラフと呼ばれる地点で深く落ち込んでいる。沖縄トラフは、長さ1,000km、深さ1,000から2,000mほどである。中国政府は、この沖縄トラフまでを自国が権利を主張できる大陸棚であると主張している。日本政府は、東シナ海の海底の大陸棚は、日本列島(含む琉球列島)を越え太平洋の海溝で終わっているとの認識から日中間の大陸棚は向かい会う両国の中間線を持って確定するという立場をとっている。

 日本は、1996年国連海洋法条約を批准し、同条約にともない日中間の東シナ海大陸棚は中間線をもって境界と考えている。国連海洋法条約においては、200海里の排他的経済水域が認められている。日本と中国の200海里は重複するために中間線を持って境界とするのである。
 中国は、1998年「中華人民共和国専管経済区および大陸棚法」を制定し、国内法において大陸棚の自然延長を自国の大陸棚としている。
 排他的経済水域内での海洋調査は、排他的経済水域を持つ国の同意を得なければならないことが国連海洋法条約で定められている。しかし、中国は、我が国に断ること無しに東シナ海日本側海域の海洋調査を続けている。中国にとって国際ルールは眼中に無く、一方的に作った国内法が優先されているようだ。
 中国は、自国の持つ大陸棚は300万km2に及ぶと主張しているが、この面積は、南シナ海、東シナ海、黄海の中国沿岸200海里をすべてあわせても足りない。日本の海洋政策研究財団が、国連海洋法条約にもとづき試算した結果によると、中国の大陸棚は96万4千km2となるそうだ。この差を理解させるデータを中国は公表していない。
 海底資源の眠る大陸棚の確保は、将来の日本人の生活にとって無くてはならないものである。日本政府は大陸棚確定に関する資料を揃え、日本の主張を国際社会において認められるための理論武装を行わなければならない。
 



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