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本年9月、東シナ海にある「天外天」のガス油田の煙突かう「フレア」と呼ばねる炎が上がり、本格的な天然ガスの生産が確認された。天外天は、日中の中間線から約9キロ中国側にある。中国は、1998年に中間線から70キロ大陸よりにある「平湖」ガス油田の開発を行っており、さらに中間線から5キロしか離れていない「春暁」ガス油田の開発にも着手している。春暁ガス油田では既に掘削用のパイプが埋設され、天然ガスを中国大陸に輸送するパイプラインも敷設され、年内に本格的な生産活動に入るといわれている。東シナ海ガス油田は、日本と中国の排他的経済水域にまたがり存在すると考えられ、中国の開発が先行すると日本の海底に眠る貴重なエネルギー資源がストローで吸い取られるように採掘されてゆくことになる。日本政府は、中国に東シナ海ガス油田に関するデータの提供を要請したが、中国政府は近海で行われているもので問題は無いと言って請合わない。今年、経済産業省はようやく東シナ海ガス油田の試掘権を日本の企業に認めたばかりである。東シナ海における日本と中国の管轄海域の問題は、尖閣諸島問題、大陸棚問題と合わせ解決されていない。東シナ海には、豊かな海底資源が眠り漁業資源も多く、この海域の管轄権は、国益につながる重要な問題である。
(1)世界の国境紛争
「国境」とは何か?広辞苑によると「国家と国家との版図を区画する境界線。国家領土主権の行われる限界。」と書かれている。つまり国境とは国家が国民のために他国を排し、権利を行使する範囲を示している。国境問題は、多くの国家間紛争の原因となってきた。 90年、イラク軍は、突如、隣国クエ?トに侵攻した。侵攻の理由は、クエ一卜が石油掘削パイプを斜頚させイラク領内の石油を盗掘したとの言いがかりである。当時、クエートは、原油価格の高騰に歯止めを掛けるため国際社会の求めに応じ原油増産体制をとり、イランとの戦争による財政難のため石油価格の高騰を望んでいたイラクとの思惑のずれが戦争へと発展したようだ。クエートは米軍を中心とした多国籍軍により解放されたが、石油掘削施設の受けたダメージは大きい。 現在もエネルギー資源をめぐる国家間紛争は後を絶たない。海底に石油資源を持つ南シナ海では、56年から中国・べトナムがパラセル諸島(西沙諸島)の領有権を争い、スプラトリー諸島(南沙諸島)では中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイが島々の領有権や排他的経済水域を主張している。ブルネイを除く各回は、それぞれ軍事行動で手近な島を実効支配し、まるで陣取り合戦のようである。近年ようやく海底資源の共同開発などが話し合われるようになった。 平和的な領土問題の解決方法もある。マラッカ海峡東部にあるペトラ・ブランカ島は、シンガポールとマレーシアの間で領有権が争われている。同島は地理的にはマレー半島とカリマンタン島の間にありマレーシアに近い。しかし、この島にはホースパーク灯台と呼ばれる灯台が、1851年に民間による寄付金で建設され、現在シンガポール政府により維持管理されている。現在、この島の領有権紛争は、軍事的な対立ではなく国際司法裁判所に持ら込まれ、国際法の下に領有権が争われている。 領土問題など国際紛争を平和的に解決する機関として国際司法裁判所が設置されている。しかし、国際司法裁判所に判決を委ねるためには両国の合意が必要である。ペトラ・ブランカ島の領有権紛争が両国の合意を持って付託されたことは、平和な世界のためにも意義深いことである。
(2)日本の現状
日本は国際的に領土紛争を抱える国とされている。ロシアとの間の北方領土、韓国により実効支配されたままの竹島、中国が領有権を主張する尖閣諸島の問題がある。現在の日本の国境線は、第二次世界大戦の戦後処理を取り決めたサンフランシスコ平和条約をもとに定められた。この条約では、日本が近代国家の仲間入りを果たした明治期以降に軍事力をもとに拡大した領土の放棄がうたわれている。サンフランシスコ平和条約においては、北方領土、竹島、尖閣諸島ともに放棄すべき領土とはされていない。すなわら、日本の領土として国際社会からも認められているのである。
(3)北方領土
1855年、日本とロシア帝国の間で日露通好条約が結ばれ、ウルップ島以南が日本領とされた。1945年、日本が敗戦後の混乱にあった時期、ソビエト軍は南下し北方領土を武力占領し、居住していた日本人を強制的に退去させたのである。以後、北方領土はソ連とロシアにより占領されている。現在、北方領土には1万4千人を越えるロシア人が生活をし、地場産業も興り経済活動も活発である。既に北方領土の返還は容易な話ではない。日本政府の返還交渉のスタンスもー枚岩ではないようだ。四島を一括に返還する四島一括論とロシア政府が日口友好条約の締結後返還を認めている歯舞諸島と色丹島の二島の返還を先に進める二島先行論の二つの意見に分かれている。四島一括返還が本筋ではあるが、北方領土の現状を考えると現実的な対応も考慮しなければならないだろう。時間の経過とともに返還はより難しくなるだろう。
(4)竹島
隠岐島の北西の日本海に浮かぶ竹島は歴史的に見ても日本国有の領土である。1905年に無人島である竹島を日本政府は領土に組み入れている。それまでに竹島を占有していた国は無い。1951年、韓国の李承晩大統領は、竹島を日本領と認めるサンフランシスコ平和条約の案を不服として、武力により海洋専有権を主張する海域を設定した。この海域は李承晩ラインと呼ばれ、竹島を入れてしまったのである。以後、竹島は韓国により実効支配され、日本の船や航空機が近づくと銃撃されている。60年代に日本政府は、国際司法裁判所への領有権係争を付託するよう提案を韓国におこなったが、拒絶されている。以後、日本政府は竹島問題を先送りにしてきた。今年、3月に島根県議会が「竹島の日」を制定したが、竹島を取り戻すためには強力な国家としての対応が必要である。
(5)尖閣諸島
東シナ海lこ浮かぶ尖閣諸島は、琉球諸島と中国大陸を結ぶ航路の目印として古くから記録されている。1895年日本政府は、尖闇諸島を調査し、先占者が無いことを確認し、領有を決定した。一時期、魚釣島を中心に尖閣諸島には200人ほどが鰹節工場等で働き暮らしていた。戦後は、米国の信託統治領となり、1972年に沖縄とともに返還されている。尖閣諸島の領有権問題が起こったのは1968年、国連アジア極東経済委員会が東シナ海の海底調査を行い、翌年に油田の存在を発表してからである。この発表を受け、1971年に台湾と中国が相次いで領有権の主張を始めた。近年、尖閣諸島への不法上陸が中国の反日活動家の行動目標となり、海上保安庁は常時巡視船を配備し警戒にあたっている。尖閣諸島は、百年以上にわたり我国固有の領土として国際的にも認められてきた。2002年に台湾の李登輝前総統は尖閣諸島が日本領であることを認めている。日本政府は毅然とした態度を取り続ければよいのである。
(6)国としての態度を明確に!
日本の領土問題にとって何よりも重要なことは、国としての態度を明確にすることである。日本の海図に排他的経済水域を記載し主権を明確にする手法もあろう。問題を先送りしてきたつけが、今になって回って来た感じがする。日本が領土問題を抱える海域には、いずれも豊富な海底資源や漁業資源が存在すると考えられ、この海域に関する主権を守ることは、将来の日本人に対し多大な貢献となることだろう。 反日教育の進む中国、韓国の日本への要求はエスカレートするばかりであるが、事実を分析し対応してゆく能力を外交当局に求めたい。他国を慮るあまり、自国の国益を犠牲にすることは本末転倒である。
(7)私たちにできること
私たらにできることは、まず、日本の領土に関する歴史を学び、なぜ現在の領土であるのかを理解し、今後のあるべき日本の姿を考えることである。歴史と現実を理解することで自ずと隣国との付き合い方も見えて来よう。中、台、韓とは日本が有史以来交際してきた国々である。そこには、同じアジアで生きる人々が暮らし、ともに生きてゆかなければならない関係なのである。 まず国民が共通の認識を持ち、そして、各人の判断で隣国との付き合い方を考えてゆくべきである。自信を持ち、臆すことなく他国の人々と国境問題に対し意見を交わし合う必要もある。同調するだけでな<、意見をぶつけ合うことも真の国際交流には必要ではないだろうか。貴センターのような立場から、そのような機会を多く作ってほしい。民間組織だからこそ胸襟を開いた付き合いができることだろう。
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