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執筆、料理…ますます多忙? 6月30日で、私は9年7カ月働いた日本財団という組織を辞任できることになった。私はいい加減なキリスト教徒だが、契約という意識には馴(な)れている。信仰をもつ人間はいつも神との契約の意識で(時にはそれを破っているという実感の中で)生きている。だから財団も6月30日の最後の日までは出勤する。しかしその後は一切の肩書は貰(もら)わない。 実はもう何人かのマスコミ関係者から「辞めた後はどうするんですか?」と聞かれて私はびっくりした。10年前の私など知らない若い記者がいて当然なのだが、私は小説家だったし、この10年間もずっと書くことを止めなかった。だから私は元通り小説家の生活に復帰するだけなのである。 財団に勤め始めた時から、「私の第一の仕事は作家で、第二が日本財団の会長です」と世間に言いふらしていたのである。日本財団の会長職は「寄付行為」によって「無給」と決められているので、私自身に税務署にはっきりわかるような別途の収入がないと、財団からこっそりもらっているように思われそうで、気の小さい私は用心していたのである。 6月末が近づくと、私はいろいろと7月からできる仕事の計画を立てるのに忙しくなった。ものを捨て、畑仕事にできるだけ復帰する。連載を始める。もっと料理をする。 私のしたい仕事の中には、職人さんの真似(まね)事も多かった。もともとペンキ塗りや壊れ物直しが好きである。アクセサリーの修理や包丁研ぎを始めると、上手とは言えないが時間を忘れる。私の家は40年も経(た)つ古家なので、いつもどこか磨いたり繕ったりしていないとみじめな姿になる。その仕事も好きだ。縁の欠けた茶碗(ちやわん)に金継ぎをする初歩的技術も習いたいし、禿(は)げた漆をほんの一部塗り直す方法も覚えよう。 こういうことに執着するのは、もちろん私の性格がケチだからなのだが、第一には例の「もったいない」をずっと生まれてこの方やってきているからである。直したものは、命をもらいなおして落ちついて輝いている。その姿が大好きなのだ。 第二に、こうした職人さんをめざす仕事は、生きる営みと現実に繋(つな)がっている。40歳を過ぎてからの私が、創作のテーマがなくなるという体験をしなくて済んだのは、私がいつも実生活にまみれて生きてきたからだろう。これが書斎の中だけで暮らしていたら、私は末梢(まっしよう)神経肥大症気味の文学に逃げ込むか、バーチャルリアリティーの中で造り上げた小説を書くことしかできなかったろう、と思う。 友達が私の話をじっと聞いていた後で、言った。 「あなたの話を聞いていると、辞めてから後の方が忙しくなりそう。そんな美的でない生活はおよしなさいね」
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