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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: インド人  
コラム名: 透明な歳月の光 158  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/05/09  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ねばり強い交渉の知恵者
 先頃、町村外相がインド訪問でシン首相と会談をされた。
 私は国家の要人同士が公式会談をされる時の模様など想像もつかないが、インド人たちは交渉において少なくとも私たち日本人よりはるかにねばり強い知恵者だという実感があるのは、小さなNGOの一員としてインド側と交渉することがあるからだ。
 私が働いているNGOは、今までにインドの南部のダーリットと呼ばれる不可触民の教育のために1億1千万円以上のお金を出してきた。ヒンズー社会は公的には階級制度がないことになっているが、実質的にはあらゆる生活の基礎にはびこっている。私たちは他国の国民感情まで干渉する立場にはないが、健康と初等教育が誰にとっても必要なことだけはまちがいないから、その2つに対しては援助を続けてきた。
 学校は数百人の児童を収容する校舎でも1千万円以下で建つが、公共の乗り物がなくて学校まで子供が通えない場合も多いから、学校を建てると自動的に寄宿舎も建てねばならないことが、日本とは事情の違うところである。
 先日新しく不可触民の子供たちの学校建設を始めるのに私はわざわざインドまで行ってダメ押しをしてきた。インドだけではなく南米の国でもよくあることなのだが、後から予算の追加要求をしてくる場合が多いのである。
 労賃が上がった。セメントや鉄筋など材料費の値段が高騰した。もちろん専門家の引いた設計図に基づいて立てた予算なのに設計ミスがあった、とこの3点が主な理由である。それで私は、いったん決めた予算は、理由の如何にかかわらず変更しないで実行するという念書を取りに行ったのである。
 もう一項目付け加えた条件は、学校ができた暁(あかつき)に、ついでに教師の給料も日本側に負担してもらいたい、と言わないという項目だった。世界中には公立の学校でさえ教師の給与を払わない国がいくらでもある。新学校発足の時には大変でしょうから3年間だけ面倒をみましょう、などと言うと、3年後にはやはり予算がないから数人の教師を解雇しようとしたら裁判沙汰で訴えられそうだ。だから続けて援助してほしいと言われたケースもある。
 インド滞在の夜、全く外部の人だが事情をよく知っているらしい人が私を訪ねて来た。「学校はいつ建設にかかれるでしょうか」と私が話のついでに尋ねると「15万ルピー(約45万円)出せば、明日にも建築許可のサインはもらえるでしょう。しかし金を出さないと役人は書類の入った引き出しも開けません」と言う。賄賂の要求なのである。
 「でも子供たちの教育機関なのに」と私が呟(つぶや)くと、「企業家たちは不可触民が無知なまま安い労働力を提供し続けてくれるほうがいいのですよ」と言って、その男はまもなく影のように帰って行った。
 



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