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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 日本館に思う  
コラム名: 透明な歳月の光 156  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/04/25  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   手つかずの自然は残酷
 「愛・地球博」をほんの2、3時間見たくらいで語ることは避けた方がいいのだろうが、私はやはり率直に印象を一部述べることにしよう。
 私が違和感を覚えたのは、誰もが見たがる日本館である。私は民藝が好きで、職人さんの技術に深い尊敬を払っているから、日本館のあの精巧で巨大な竹製の笊(ざる)を、繭型(まゆがた)にまとめた屋根がどれだけ大変だったか推測がつくつもりなのだが、ああいう屋根の材料も発想もアフリカだったら当たり前のことである。
 もちろんアフリカではあれだけの精巧な笊は編めないかもしれないが、アフリカの人が見たら、「日本という先進国が何でこんなアフリカのまねみたいなことをするんだろう。それよりもっと徹底して魔術のような先端技術を駆使した生活を見せてくれたら」と思うだろう。
 自然と共生する技術だったら、アフリカの方がはるかに上である。たった2枚の板を差し込むように組み合わせることで組み立てる椅子(いす)だの、1本の丸い木を彫り込んでいって開閉自在な台の5本脚になるように作る技術など私には魔法のように思える。
 それより偉大なのは、3個の石があればどこででも竃(かまど)を作る生活力である。日本人のほとんどが石3個あればすぐさま足元に竃を作って煮炊きもできることを現実問題として知らない。
 開催概要のメッセージには「愛・地球博」のテーマである「自然の叡智(えいち)」がうたわれているが、私の見るアフリカの自然は、叡智とはほとんど無縁に見える。
 アフリカの人々は自国の内戦で危険を感じると、何日もかかってとにかく歩いて逃げた。隣国の政治情勢をわかって行き先を選んだのではない。大地が続く限り歩けばどこかへ行くというだけで、ある方向に移動した。しかし中にはいつのまにか広大な動物保護区へ紛れ込み、そこでライオンなどに襲われて死んだ人たちもいた。
 自然に「叡智」を感じられるのは、人間が既に自然を征服している土地か、人間と無関係の空間だけである。多くの場合、手つかずの自然は人間に対して残酷だ。
 干魃(かんばつ)で飢餓が始まると、食料とともに燃料もなくなるから、薪を取るために1日に10キロも歩かなければならない。ハエは感染症の病原菌を、蚊はマラリアを運ぶ。ハエも蚊も自然だが、それを叡智だとはなかなか納得しにくい。
 日本館には人工の竹林があって、竹のにおいもしていた。そこで自然を感じてほしい、と言われたが、所詮(しよせん)それは無理なことなのだ。これは自然の竹林ではないのだから。こういう無理はしない方がいい。入場券とペットボトルの飲み物まで場内で買うといくらかかるか。庶民の暮らしを知らない処置だと思う。叡智どころか、利権のにおいですよ、と言う人は少なくない。
 



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