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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 学校の要塞化 フィリピンで見た優しさ  
コラム名: 透明な歳月の光 149  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/03/04  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   小学校に侵入して、何の動機も深い理由もなく、児童や先生を殺傷する人が現れるようになってから、小学校の防備が厳重になった。
 刺股(さすまた)と呼ばれる昔風の、武器とも言えない道具が1本1万円以上もして、しかもそれが生産が追いつかないほど売れているという。しかしそれで防備が完璧(かんぺき)になるわけではない。
 夫は、猫かわいがりに育てられた色が白い子供で、学校でばかにされることが多かった。相手にすればいじめがいがあったのだろう。ところが小学校4年生のころから突如として「男性ホルモンが出るような感じがして」(当人の言葉)悪口を言う相手は「取り敢えず殴っておこう」と思うようになった。それで多分人並みな悪童として無思慮な時期を越したのだろう。
 息子は自ら「下校拒否症」と言うほど学校が好きで、朝は開門と同時に校庭に入り、カケッコに打ち込んだ。池の金魚を釣り、煙突に上り、コロッケを買い食いして先生にしかられる子供時代だった。
 孫は別の土地で育ったのでよくわからないが、お母さんのおかげで小学校1年生から少林寺拳法の道場に通った。小学校6年生で初段を取ったが、闘わずしてとにかく逃げるが勝ちと思う冷静なタイプではないか、と私は見ている。
 しかし子供たちにも身を守る技術をつけさせることは大切だ。刃物を持った男に立ち向かうことはできないだろうが、指一本取って相手を動けなくするか、隙(すき)を突いて逃げる技術は覚えられるかもしれない。勉強ばかりして身を守れないのは、どこかアンバランスである。しかし教育の不備がここへ来ていよいよ明らかになったという人もいる。
 犯人の少年に、生きる目的を与えられなかった家庭や学校や社会が病んでいるのである。人を殺すくらいなら「死ぬ気でやりたいこと」が他にあってもよかったのだ。
 貧困な国や社会では、家族と自分が生きるのにせいいっぱいだと知っているから、家族を生かすために盗みや売春をするケースはあっても、無目的な殺人などしない。何とか一生懸命働いて、さしあたり自分が空腹から逃れ、親や弟妹にも食べさせることが、確固とした目的になっているのである。
 日本の刑務所にいればテレビも見られ、重労働の水くみをしなくても雑居房の水道の栓からさえ清潔な水が飲め、食事も十分に出される。しかしこういう保証のない国では、出所するや包丁を手に入れ再び人を刺して刑務所に舞い戻る道を計画したりしないだろう。
 日本の学校は侵入者を恐れて、ますます要塞(ようさい)化を進める。私が訪ねた質素なフィリピンの田舎の小学校では入り口に粗末な板をうちつけた看板があり、土地の言葉で「どうぞおはいりください」と書いてあった。その優しさが忘れられない。
 



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