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本年8月下旬、インド北東部のビハール州を訪問しました。今回は2002年12月以来、2度目の訪問です。現在、インドでは2005年末までのハンセン病制圧達成に向けて、有病率の特に高い8州(ウッタールプラデシュ、ウッタランチャル、マディヤプラデシュ、チャッティスガル、ジャールカンド、オリッサ、ウェストベンガル、ビハール)に重点をおいて制圧活動を展開していますが、ビハール州はその1つです。 ビハールは北海道の約2倍の面積をもつ人口8900万人の州です。インドは総人口が約10億人強で35州から成りますが、ビハールは3番目に高人口の州です。世界保健機関(WHO)の最新報告によれば、インドは世界における新患者数の約9割を占めますが、その内ビハールの割合は22%を占め第1位、また、登録患者数もインド全体で第2位の17%を占めます。一方、ビハール州保健省の報告によれば、前回の訪問時には、有病率(人口1万人あたりの患者数)は11人でしたが、今回は、4・97人にまで下がっていました。前回の訪問では、2005年末までの制圧達成は難しいだろうという悲観的な感想を抱かされましたが、今回は、その改善の報告を受け、ビハール州の制圧活動関係者の努力がやっと実りはじめました。 しかしながら、下降傾向にあるとはいうものの、ビハール州はいまだインドの17%の患者数を有します。なぜ、ビハールにこれほど患者が多いのか、制圧活動の実施面、診断方法、患者の登録などに問題がないかどうか厳しく検証することが必要です。今回の訪問では、制圧の現場に携わる方々には、もう1度危機感をもって今のやり方が最善なのかどうかを見直し、2005年末までの残り16ヶ月で目標達成していただくよう強くお願いいたしました。
今回、私はビハール州の州都パトナ市内に3日、また、パトナから車で3時間半ほど南にあるガヤ地区に1日滞在しました。 まず滞在の前半では、パトナ市内で2つの会議に出席しました。1つは、ハンセン病制圧に向けて、医療関係者、メディアやNGOなどの役割を考えるワークショップ、もう1つは直接ハンセン病の制圧活動に関わらない幅広い社会的組織にどのように運動に参加してもらうかを考える啓発会議です。 前者ワークショップは、国際ハンセン病連合(ILU)のS・D・ゴカレ氏が主催しました。ILUはマハラシュトラ州に本部を持つ組織でゴカレ氏はその代表です。彼はインドを代表する活動家です。このワークショップの目的は、ハンセン病制圧の現状認識とメディアやNGOなどの果たすべき役割の検証と共に、特に回復者が啓発活動の先頭に立つことを通して、社会に広くメッセージを届け、患者や回復者に対する誤った考えを正すこと、そして、患者の人たちが治療を受けやすくなる環境を作ることにつなげようというものです。ハンセン病の制圧目標達成に加えて、患者や回復者の人権を守るための啓発ワークショップです。ワークショップは、州レベルと地区レベルで3日間に渡って行われ、回復者の国際的ネットワークのアイデア(共生・尊厳・経済向上のための国際ネットーク)インド代表のP・K・ゴパール氏も参加して議長を務めました。初日に行われた州レベルのワークショップでは、会議場には約30人の回復者が参集しました。そして全員が一人一人自己紹介をしました。若いMBA(経営学修士)の学生は、将来はマネージャーになって結婚したいと希望を語りました。それに続いて、主婦、建設労働者、床屋、文房具屋、小売店主、ミルク売り、自転車修理業、コンピューター技術者など様々な職業につき、普通の人と変わらない生活をしている回復者たちが、それぞれの思いを語りました。うち1人は自分で宗教活動を起し、各地でハンセン病の話をしてまわって歩いているそうです。でもこのような人達はごくまれな例ですが、私はこのような人々を精神的にも支援することによって、社会に正当に認めさせる大きな波を起し、大規模な社会運動に発展させていきたいと考えています。私は、「制圧活動では医療的側面だけでなく社会的側面を重視すべきであり、最も説得力をもつのは回復者自身の経験から生まれる言葉であるので、その意味で回復者を主役にしたこの会議は重要性を持つ」ということを申し上げました。
「社会組織の役割を考える」啓発会議は、企業、銀行、産業組合、NGOなどの人々を対象とした会合で、約60名が参集しました。ビハール州保健省からは、シャクニ・チョウドリ保健大臣や事務次官A・K・チャウドリ氏、WHOからはインド代表のS・J・ハバイェブ氏、南東アジア地域事務所のデレック・ロボ氏、インド政府保健省ハンセン病担当のD・P・S・ディロン氏が出席しました。A・K・チャウドリ氏から、ビハール州では患者の減少という意味では前進しているが、一方で、回復者の尊厳回復についてはまだ不十分であり今後の課題であるとの発言がありました。ロボ氏からは、回復者に対してハンセン病コミュニティの中で職を見つけるという従来のやり方を改め、外の社会で職探しをサポートすることが大切という発言がありました。聴衆からは、学校教員より「学校教育では何が可能か」、またNGOスタッフより「協力のためにはどのような活動が考えられるか」といった意見が出されました。皆さん積極的に話を聞き、意見を述べられ、関心の高さが伝わってくる会議でした。私は、この会議においても、すべての社会セクターの協力を得て3つのメッセージ「ハンセン病は治る病気」「薬は無料」「差別は許されない」を伝え、ハンセン病に対する正しい知識を全てのインドの人々に伝えるために、大きな社会運動にしてゆくことの重要性を再度強調しました。 パトナ滞在中は、以上のような会議出席とメディア、NGOへの啓発の他、パトナ市内のミッション系女子大学(パトナ・ウィメンズ・カレッジ)での講演も行いました。この大学はビハール州初の女性のための高等教育機関として1940年に設立された3000人規模の大学です。今後、インドにおけるハンセン病制圧活動の鍵を握るのは、各家庭、村を中心とした啓発であり、その中心の力となり得るのは若い女性たちであるとの目的から今回の訪問講演となりました。講演当日は約500名の学生が集会場いっぱいに参集し、学生による歌や踊り、また校長先生による挨拶などで歓迎を受けました。 私は、ハンセン病は医学的側面のみならず、人が人を差別するという社会的問題を長い歴史に渡り抱えてきた病気であり、この病気の制圧と患者・回復者の人権について、学生の皆さん一人一人に自分自身の問題として考えていただき、ビハールからのハンセン病制圧のための先頭に立って行動するよう要請しました。 ビハール滞在後半は、現地視察を行いました。訪問地はパトナ地区とガヤ地区です。どちらもハンセン病有病率が1万人に4?5人と下がって来ていますが、今後も制圧へ向けた活動継続が必要な地域です。 まず、パトナ地区のマサウリ保健所を訪問しました。この保健所は人口20万人を対象としていて、医者が常駐しています。傘下に2つの保健所と26のサブセンターがあり、その保健担当者やアンガンワディ・ワーカーという女性のソーシャルワーカーが、新患者を見つけてマサウリ保健所へ診察・治療に連れてきます。各サブセンターでは週10?15人の患者が出てきます。ただし早期発見の患者がほとんどで早くから多剤併用療法(MDT)を受けているため、障害を伴う人たちはほとんどいないことは嬉しい現象です。 この後、車で約1時間ほどのガヤ地区へ移動し地区病院を訪問しました。ここでは、ガヤ地区知事、病院医務局長、ガヤ地区内の地域レベルでの保健職員が30人ほど集まりました。皆保健医療の第一線で活動している人々です。私は彼らの活動に謝意を表し、制圧活動の成功の暁には共に祝杯をあげることを約束しました。 ガヤ地区では、ブッダガヤ保健所を訪問しました。同保健所の傘下には21のサブセンターがあり、患者数は全部で95人います。新患者の発見は、疑いある患者のうち30%から40%がハンセン病患者と診断されています。早期の発見とMDT治療により新患で障害を伴う人はいないとの報告でした。
今回のビハール出張の締めくくりは、州政府要人との会見です。前回の訪問時にも会見している、元ビハール州首相で現在インド中央政府の鉄道大臣ラルー・プラサッド氏および現ビハール州首相ラブリ・デビ夫人と会見しました。私は、2年前の会見時に約束したハンセン病制圧についての20万人集会の実現をせまったところ、代案として、保健大臣をはじめ保健省職員も同席したこの会見で、ラルー大臣は、今後ビハール州で2つの集会を開こうという提案をされました。ひとつは、患者の集会、もう1つは回復者の集会です。双方の会合ともパトナに数万人単位の人々を集め、ハンセン病制圧と今後の回復者の社会参加を考える場をつくろうというお考えで、大きなマス・ムーブメントとして、ビハール州からインド全体へ発信してゆく機会とするのが目的です。まず回復者を州内から集めた啓発集会を10月2日のガンジーの誕生日に行おうという具体的な提案があり、私は先約の国際会議を欠席しても参加すると、協力を即答しました。2005年末までのインド国全体でのハンセン病制圧の目標達成に向け、ビハール州の制圧達成はその大きな鍵を握ります。ビハールからのメッセージが全インドに伝わることを確信して、この10月の会合に向けて準備をしているところです。
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