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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「西武事件」安らかで強い“真実”  
コラム名: 透明な歳月の光 148  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/02/25  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   財閥西武一族の事業の上に起きた一連の事件のことを、マスコミは「西武事件」と書いている。それにつれて事件の中心人物・堤義明コクド前会長のことについても、週刊誌はさまざまなことを書くが、私はどうせ不正確な記事だろう、と思ってあまり読まない。
 私は一度だけ堤義明氏にお会いしたことがあるが、公私両面で仕事の上の話ではなかった。私は西武の株も持っていなければ、西武沿線にも住まず、軽井沢にもめったに行かないので接点がない。しかし気さくで自然な話し方をされる方だった。堤氏がどこかへ行くときは、天皇陛下の行幸のように辻々に配下が立って見送っていた、というような記事もあったが、そんな気配は全くなかった。
 今回の事件が西武グループの今後にどれほどの影響を与えるものなのか、私には想像もできないが、「家業百年の計」も「家族永遠の繁栄」も、本当はあり得ない。そのことを私たちは改めてはっきりと認識するべきなのである。人間は、インド洋大津波の被災者たちのように、運命の波にのまれるようになっている。明日の安全も保証されていない。それが人間というものだ。
 すべての人間は、悪人の要素と善人の要素を併せ持つ。小ずるいことをしたい気分になる日もあろうし、自然に善行をさせてもらう巡り合わせもある。こんなことはもう今までどれだけ聞いたり読んだりしてきたことかしれない。それを忘れるのが、人間の共通の愚かさなのである。
 そうじて社会的に有名で偉大な父を持った息子たちは、無名の父を持つ子供たちより、道を見失う危険にさらされている。親の仕事、親の生きた道を、その通り歩くことが知恵だと周囲に教えられ、自分でもそう思うから、しばしば批判精神も思考力も、謙虚さも迷いも失う。自分も他の人と似たり寄ったりの1人の人間だと、心底から思う姿勢を忘れる。
 堤義明氏が父から「友だちはつくるな。利用されるだけだ」と言われたというエピソードが新聞に書かれていたが、もしほんとうとするなら、ギリシャ神話みたいな悲劇である。私の友人関係はお互いをビジネスに利用しない間柄だから長く続いている。
 事件を納めるのは、多くの真実が明るみに出ることだ。自殺するくらいなら、真実を語ればいい、と私は思うのだが、それが組織というものの怖さを自覚していない者の言うことだと叱(しか)られるだろう。
 しかし何と言われようとも、真実とは実に安らかでいいのである。真実は強い。卑近な言葉で言えば、気楽で怖いものがない。ただ真実を語るには、自分をも含めた人間そのものに対する強烈な認識が要る。真実は、神と人とに嘉(よみ)せられる、という素朴な実感が私からぬけない。
 



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