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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 南米を訪問して  
コラム名: 南米を訪問して  
出版物名: 駿河会  
出版社名: 駿河会  
発行日: 2004/11/01  
※この記事は、著者と駿河会の許諾を得て転載したものです。
駿河会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど駿河会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
 
   6月下旬から7月初めにかけて、南米のチリとブラジルを訪問しました。チリは日本財団の奨学金制度を国立チリ大学に設置する式典への出席が主目的でしたが、同時にチリにおけるハンセン病の歴史と現状を調査することも目的としていました。ブラジルは、ハンセン病の現状調査とWHO、ブラジル政府などとのハンセン病制圧のための諮問会議への出席が目的でした。同じ南米でもハンセン病の現状に関してチリとブラジルでは大きな差があります。チリでは、本土にはハンセン病の患者についての記録はほとんどなく、唯一患者が存在したのは、4000kmはなれた太平洋上のモアイ像で知られるイースター島でした。このイースター島には近年までハンセン病の病院があり、患者も少数いたことが記録されています。5年前にも3000人の全島調査をして、3人の患者が発見されました。これらの患者たちはポリネシア系の人々で、奴隷としてペルーなどに渡り、発症して帰った人とのことでした。チリの本土にも近隣国からの移民の中に少数の患者がいたようですが、そもそもの土着の人々のなかにはほとんどいなかったとのことです。この理由を著名な皮膚病の学者であるホアン・ハニーマン博士は、1.温暖な気候、2.チリの国土の特殊な地形(縦に細長く、太平洋とアンデス山脈で隔離されている島国のような地形)、3.BCGの接種などで免疫ができた、などと説明していましたが、どれもあまり説得力はなく、人種的に特殊な遺伝子をもっているのかも知れないなどという説まで囁かれていました。どうしてチリにハンセン病患者がいなかったのかは、いまだ残る謎です。現地の研究者などに歴史資料の発掘をお願いしてサンチャゴを後にしました。
 ブラジルは、ハンセン病の蔓延国であり、第1位のインドに次いで2番目に蔓延率と患者数の多い国です。全国に5500ある市町村の60%にあたる3521の市町村にハンセン病患者が存在し、政府の最近の統計で、約8万人の患者がおり、有病率は1万人に4・52人ということになっています。特に北部のアマゾン河の流域など医療サービスの供給が難しい地域などに高い有病率が見られます。昨年新たに選ばれた革新政権のルーラ大統領は、社会的正義の追求と経済格差をなくすことに政策の高いプライオリティをおいています。ハンセン病の制圧にも大変熱心で、大統領としてほぼ1世紀ぶりにハンセン病施設を訪問して患者を見舞い、「私たちはもっと早くにハンセン病の問題を解決できたはずなのに努力を怠ってきた、失われた時間を取り戻さなければならない」と力強い決意を表明されています。今回の訪問で短時間ではありましたが、私もWHOの制圧特別大使として大統領にお目にかかり、直接、政府の更なる努力をお願いいたしました。しかし、さらなる努力と申し上げましたが、どうもブラジルで多くの関係者から聞いたところでは、前政権では、ハンセン病の制圧に向けて、系統だった活動はしていなかった様子で、患者数や、有病率が過去6年間ほとんど変化がなく統計数字にも食い違いが多く見られて信用がならないということを現在の保健省の担当者自らが認めていました。政府が出す数字やWHOが出す数字が実体を正確に反映していないのでは、制圧に支障をきたすことは明らかです。ようやくこれに気づいた新政権は、22年間もそのポストに安住してなにもしてこなかったハンセン病制圧の専門家30人近くの首をすべて挿げ替えるという荒療治までしなければならなかったようです。「私たちは眠っていた」というのが保健省の高官の自己批判を込めた言葉でした。しかし、新しい大統領と保健大臣の指導の下で、新たなハンセン病制圧対策が模索されつつあり、2005年の国レベル、2010年の市町村レベルでの制圧達成に向けて政府機関の今後の活動に期待したいと思います。

 ブラジルでは、政府の対応はこのように今ひとつ信頼できないものがありますが、NGOやボランティアの活動には目を見張るものがあります。モーハンというハンセン病の回復者フランシスコ・ニューネス(通称バクラオ)氏によって23年前に設立されたNGOは、「テレハンセン」という無料電話相談を全国レベルで実施していて、年間18,000件の問い合わせに答えています。この内47%がハンセン病の患者や回復者からの問い合わせだそうで、おもに診断の方法、薬の入手などの質問が多いそうです。ブラジルの地方のヘルスセンターには医師がほとんど常駐しておらず、巡回診療が中心で、患者が名乗りでても医師がいないことを理由に診断と治療を断られるという現状があるそうです。モーハンに診断方法や治療の方法についての問い合わせが多いというのも頷ける話です。また、モーハンは、政府に対する民間圧力団体としても強い力をもっており、先の保健省のハンセン病担当者の首の挿げ替えにもモーハンの圧力が大きく作用したそうです。しかし、今回の訪問では、モーハンが保健省と建設的で良好な関係をもち、パートナーとして強い協力関係にあることがみてとれました。
 ブラジルでもう1つ特筆したいのは、現役の有名歌手や俳優の人々がボランティアでハンセン病患者の世話や制圧キャンペーンにかかわっていることです。私がお目にかかったブラジルの国民的女優で歌手でもあるエルケ・マラビヨソさんは、15年前からハンセン病患者を隠れて慰問し世話をしてこられました。彼女の一生も数奇の一生で、そもそもロシアの生まれで、祖母はモンゴル人、祖父はアゼルバイジャン人で、ロシア人のお父さんとドイツ人のお母さんとともに第2次大戦後すぐブラジルヘ逃れてきました。女優としての活動のかたわらハンセン病の施設を訪問することを日課にしていたそうですが、前のご主人にハンセン病の患者とキスしたのかと聞かれて、もちろんと答えて夫婦仲が悪くなり、ご主人を捨てたと明るく話していたのが印象的でした。今はハンセン病の人々だけでなく、刑務所の受刑者や、売春婦からもゴッドマザーとして慕われているそうです。彼女のほかに国民的歌手であるネイマトグローソ氏もハンセン病の制圧キャンペーンに協力を惜しみません。テレビのキャンペーンも彼が出演して20年ぶりに復活し、このような人々やモーハンのようなNGOの献身的な努力が、政府の努力の足りないところを補完してきたということが言えるでしょう。問題は大きいですが、若干明るい希望も見えてきているという印象をもってブラジルを後にしました。
 



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