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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 絡まれた遠藤さん  
コラム名: 透明な歳月の光 146  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2005/02/11  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   人間見抜く眼力の怖さ
 年月は恐ろしくもあり、いいものだ、という気がすることがある。
 恐ろしいのは教育で、日本人が心身両面で変質したのも教育の結果だし、アラブ社会にテロ組織が育ったのも、少なくとも数十年にわたる社会状況と一部の人たちの教育の結果だという人もいる。
 だから私もいろいろと悪い面で教育されてもいるのだろうが、少なくとも、主観的には楽しく教育されたという実感のあるものが多い。
 私は20代の初めから、小説を書くために同人誌に加わり、文学に携わる人たちの姿を遠くから近くから見せてもらった。私はそうした人々の強烈な個性を当たり前のことのように思って暮らしてきたが、実は貴重な世界だったことを、このごろになってしみじみ思う。
 吉行淳之介さんや遠藤周作さんと親しい友達だった夫は、ある時数人で銀座裏を歩いていて突然、遠藤さんがいなくなったのに気がついた。アレ、どこへ行ったんだろう、と思っていると、遠藤さんが息を切らせながら追いついてきて、「ほんとうにお前ら冷たいな。オレをおいてさっさと来てしまうんだから」と怒った。実はチンピラに絡まれていたのだという。数人で歩いていたのだから、街角の危険負担も全員でするのが当然なのに、友人の誰一人として気がつかなかったのだから、遠藤さんはむくれたのである。
 「やっぱり遠藤は変わってるな」と後で夫が吉行さんに言ったのは、つまり自分たちは数メートルの間隔でいっしょに歩いており、遠藤さんだけが何か特別なことをしていたのではないのだから、なぜ遠藤さんが「選ばれて絡まれた」のかわからない、という意味だったのである。
 すると吉行さんが、「それが遠藤の才能よ」とさらりと答えられた。
 これは人間を知り抜いた人の答えだろう。もし友達2人と歩いていた小学生の息子が、盛り場で1人だけ絡まれた、という話を聞いたりすれば、世の母親たちは「だから言ったでしょ。もう少し髪を短くしなさい」とか「シャツの着方がおかしいからそんな目に遭うのよ。これからは気をつけなさい」とかいう反応しか示さないかもしれない。
 しかしそれが個性なのだ。チンピラがイチャモンをつける相手として一瞬のうちに選んだ個性なのである。
 まるで掌編小説のように、こんな短いエピソードの中に深い人間性が表れている。これも教育論だなどとヤボなことは言いたくないけれど、この会話の背後にある人間を見抜く眼力の怖さが理解できるまでに、私も長い年月がかかった。しかし遅まきではあっても今さらのように見えてくるものがあるというのは、いつでもうれしいことだ。
 



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