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本文は、2004年9月18日付『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙に掲載された内容が「人権のひろばNo.41」(財団法人 人権擁護協力会 編集・発行)で紹介されたものです。
何千年にもわたり、世界中のどの社会も、ハンセン病に恐れおののいてきた。しかし、この恐れなど、この病気にかかった人々が直面した本当のみじめさに比べればさしたるものではない。 だから、去る8月9日ジュネーブで行われた国連人権促進・保護小委員会の第56回会合で、「ハンセン病の犠牲者とその家族に対する人権問題」と題する決議を採択したという知らせは、私達ハンセン病の制圧に向けて働いている人間にとって本当に感動的な知らせだった。ようやく「山」が動き始めたのだ。
ほとんどの人々はハンセン病患者に会ったことさえない。ほとんどの国で、この病気は公衆衛生上の問題ではなくなっている。しかし、病気の制圧がなされたところでも、差別は続いているし、それはひどい状況だ。 結果としておこる身体の変形と、感染経路が不明なことがこの病気に対する恐れを引き起こし、その恐れが差別を招いた。そして、この差別は病気にかかった人々のみならず、その家族までをも対象としてきた。 今日でも、多くがハンセン病を危険で感染しやすく、遺伝する病気でもあると信じ込んでいる。これを神から与えられた罰だと考える人もいる。 多剤併用療法(MDT)と呼ばれる治療法が1980年代初頭に開発され、これを用いれば6カ月から1年で病気が治癒するようになった。この薬ができて以来、世界中でいままでに1300万人の人々が治癒している。ハンセン病がいまだに蔓延している国は122カ国から6カ国へと減少した。 今日ハンセン病は風邪より安全な病気となった。早めに処置すれば単なる皮膚の発疹でしかない。恐れることはなにもない。実際大多数の患者が世界中で治癒した、しかも永久に。 しかしハンセン病は人類社会でもっとも凄惨な差別の原因となってきた。その差別とは、生涯社会から消え去ることである。 過去存在したハンセン病患者を社会から隔離する法律はほとんどが廃止された。しかし、社会的差別というもっと陰惨な問題が残る。社会的差別は治癒した回復者でさえ生まれた場所にもどることができないほど根深いものである。最初にハンセン病だと診断されてから彼らの生活は悪くなる一方で、結婚することも、仕事につくことも、学校に行くこともできない。 一家の名誉を守るため、病気に感染した患者はたとえ治癒したとしても家族から捨てられる。追い出された彼らは、家を離れ、名前を捨て、死んで家族の墓に入ることも許されない。 世界中で、病気が治癒した何千、何万の人々は、発病時に強制的に隔離された寂しい場所に住み続ける。彼らの家も家族ももう存在しないのだ。
驚くべきことは、この8月まで、この問題が1度も国際的な人権問題を扱う組織に取り上げられることがなかったという事実だ。 この理由は怖いほど単純だ。彼らは見捨てられた人々なのだ。彼らは異なる世界に住んでいるのだ。そしてその世界には人権という概念など存在しない。名前もアイデンティティも剥奪され、権利のために声をあげる力も失ってきた。声をあげることが、差別をよりひどくすると恐れる人もいる。ハンセン病であるという汚名(スティグマ)が彼らを沈黙させ、沈黙が汚名をさらに深刻なものとした。 問題は、静かであるが巨大なものだ。過去30年の間に世界中で2000万人以上の人が治癒していると考えられる。彼らの家族もいれると1億人を優に超える人々が差別に苦しんできた。この問題は、社会の態度を変えなければ是正されない。 政府や組織の努力だけでは社会の態度は変わらない。社会全般にこの差別がいわれのないものであり悪いことであるという知識を行き渡らせなければならない。国連人権委員会とか日本財団のような組織は、その手伝いができるだろう。しかし、われわれの伝えられる範囲には限りがある。社会の態度を変えるためにはより幅広く大規模な啓蒙活動が必要である。 そのためには、全ての国々の全ての人々の協力と参加が必要だ。この闘いに皆様の支援をお願いしたい。この古代から続く苦しみ、すなわちハンセン病にかかわるいわれのない差別をなくすために。
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