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硫黄の匂い立ち込める日本有数の温泉地、草津の温泉街から程近い高台にある国立療養所栗生楽泉園を5月15〜16日に訪問したのは、競艇関連の16団体から集まったメンバー24名だった。競艇選手が自身の持ち物をチャリティーオークションにかけ、その収益金をハンセン病制圧活動のために寄付したり、また、競艇の売上げを使って国内外で公益事業を行っている日本財団はハンセン病の制圧に30年近くも取り組んでおり、世界のハンセン病多発地域に多剤併用治療(MDT)薬を無料で配布したりと、競艇業界におけるハンセン病との繋がりは深い。実際に園の方々と交流をすることで、ハンセン病についての理解を深めよう、というのが今回の目的だ。 園内で満開に咲くピンクの山ツツジの間を通り抜け、まず納骨堂へお参りした後は、今回のメイン・イベントであるゲートボール大会。全くの初心者である私は、スティックの握り方から指導を受けることになった。とりあえず「第一ゲート通過」を目標としたものの、そもそもスティックがボールにあたらない。ゲート通過など二の次である。すると、「あなた、スティックの握り方がちょっと違うわよ」「もうちょっと思いっきり打っていいんだぞ」と、あちこちからアドバイスが飛ぶ。皆さん、私のあまりの下手さに、見ていられなくなったのでしょうか……。 チームは、クラブの方々と今回の訪問団メンバーの混合で編成した。私のチームは、5人中クラブの方が2人。私は6番打者となった。一打目、運良く第一ゲートを無事通過。と安心していたのもつかの間。次はあっち、今度はこの辺まで、と、いろんな指示が飛ぶ。言われるがままにボールを打っていたのだが、張り切りすぎて力が入り、ホームランばかり。折角の戦略も台無しで、何度迷惑をかけ、フォローしてもらったことか。それにしても、クラブの方々のゲートボール技術には驚くばかりだ。独特の打法と微妙な力加減で、狙った所へ思い通りにボールを運ぶ。私は、ここが栗生楽泉園だということを忘れ、すっかりゲームに熱中してしまった。 夜は、ビールを片手に懇親会。聞けば、皆さん毎日午後はゲートボールをすることが日課だそうで、体力のみならず、頭も気力も使うゲートボールのおかげか、60〜80歳の年齢とはいえ、ビールのお代わりが止まらない。私は早々とギブアップしてしまった。普段の生活のこと、好きな食べ物など、いろんなことを話しているうちに、久々に祖父母と接したような懐かしい思いに駆られた。私のことを、少しでも孫だと思ってくれていたなら、ここに来た甲斐があって嬉しく思う。 翌日は園内の施設見学。あいにくの雨で、5月中旬といえども肌寒い。この草津の地は、冬になるとマイナス16度にもなり、それは厳しい寒さだという。監房跡地を訪れて、その厳しさを知ることになった。監房は、入所者の人権否定を象徴する場所である。規律に違反したり、職員の気に入らないことがあると、何かと理由をつけてこの監房に押し込まれていたそうだ。脱走防止の壁は高さ4メートルもあり、部屋へ通じる廊下には屋根がないため、極寒の冬には当然雪が積もる。床は氷のように冷たくなるので、凍死した人もいたという。栗生楽泉園が抱えている辛い過去を目の当たりにした時間だった。 二日間という日数は、入所者の方と十分な話をするには足りず、後ろ髪を引かれる思いで草津を後にした。ハンセン病について殆ど知らなかった訪問団のメンバーも、帰り際には一緒に写真を撮り握手をしながら、「また遊びに来ますね」と固く誓っていた。 日本国内では、ハンセン病に新たに感染・発病し、入所する人はいないため、療養所の高齢化が進んでいる。栗生楽泉園の入所者の平均年齢は78歳。人生の大半を園内で過ごし、青春時代も、家族との繋がりも、人間としての尊厳までも否定されてきた時代がある。らい予防法が廃止され、熊本でのハンセン病国家賠償訴訟で勝訴したことも影響して、少しずつ世間の流れも変わってきているのに、ここまで入所者の高齢化が進んでしまっていることが残念でならない。これからの残りの人生を、白根山を望む草津の温泉が引かれた、自然豊かな栗生楽泉園の土地で、穏やかに過ごして欲しい、と強く願う。
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