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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「10万トンに乗る」  
コラム名: 昼寝するお化け  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2004/09/10  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この連載を始めてから、寝たまま原稿を書いているのはこれが初めてである。
 別に病気なのではない。私は今、商船三井が運航するLNG(液化天然ガス)を運ぶ船でペルシャ湾に向っている。
 船に乗り込んだのはシンガポールである。それから約1日半ほどで、スマトラ島の北端にあるロンド島を出はずれるまでは、いわゆる狭隘なマラッカ・シンガポール海峡を走った。前後左右は船だらけ。大海原に見えても、水深10メートル台、30メートル台のところがたくさんあるのだから、船は厳重にレーンを守って走っている。そのために、浮標、燈台がいたる所にあって、その保全のためのお金を出しているのが日本財団である。
 この海域が海賊危険水域である。船は見張を立て、夜は後方海面を投光器で照らし、高圧放水をしつづけながら走る。この他にも船橋ではレーダーで異常な角度から高速で接近して来る小型船がいないか監視しているし、あらゆるドアは内側から頑丈な金属性のストッパーをボルトで締めつけてあるので、私は監視デッキに出るのに、「いったいどこから出るのですか」と聞いたくらいである。
 船の名前は「アル・ビダ」というアラブ風の名前だが、地名だという。現在103隻しかない日本船籍船の1隻である。後の船はことごとく便宜置籍船としてパナマやホンデュラスやリベリアなどの外国籍になっている。その方が税金などの面で有利なのだそうだ。 LNG船の外見上の特徴は、液化したLNGを入れるための、球型のタンクを載せていることだ。初めてこの船を見た時以来、私はこの船を「ゴジラの卵船」と呼んでいる。正式にはモス独立球型タンクという。1個のタンクは直径約37メートル。1個に、マイナス162度に液化されたメタンを、2万7干立方メートルほど入れて日本に運ぷ。カタール・プロジェクトに属する10隻のLNG船は、カタール液化ガス株式会社から、年間約600万トンのLNGを買って日本に運び、電力5社とガス3社に供給している。遠くから見るとこの船は、背中に5個の巨大な卵を背負って走っているように見えるのである。
 船の大きさは約10万トン。
 カタールまでシンガポールから約9日間の旅に備えて、夫は読本としてデカルトを持って行け、と言い、私がそんな重い本はいやだ、と言うと、「10万トンの船だ。本の1冊や2冊余計に積んでもどうってことはない」と反論した。
 私は乗船前日に買いものに行き、下らない食物をさんざん仕入れた。3羽の鷹製の鴨、月餅1箱、缶入りのビスケット、中国風ビーフジャーキー、安い袋菓子などである。荷物が増える度に、「10万トンだ。大丈夫よ」と私の科白も同じであった。
 「アル・ビダ」は接岸しておらず、錨地に入っていた。ランチで走ること40分。やっと船の全体像が見えて来た。最初の難関と思われたものは、海面から16メートルある甲板上まで、ギャングウェイ(舷門)と呼ぱれる階段を上ることだったが、思ったより簡単に、ただし息はみっともないほど切らして昇ることができた。
 乗組員は船蔵和久船長以下、32人。10人の士官のうち8人が日本人。三等航海士と三等機関士2人がフィリピン人。というより残りは全員がフィリピン人である。
 船首から5個のタンクを載せている船の居住区は後方にあるが、エレべーターは下から船橋まで数えると12階である。私に与えられた部屋は、カタール液化ガスの偉い人が乗る時のための客室らしく、飾りはないが恐ろしく広い。最新型の日本製のマッサージ機まで置いてあり、恐る恐る使ってみると、とにかく立って歩いてばかりいる10万トンの「広大なお邸」暮らしで疲れた足腰を休めるのには、この上なくいい。
 8月13日朝に出航して、2日走った15日午後には、予想された通りローリング(横揺れ)が始った。縦揺れ(ピッチング)の方は、船の長さが約300メートルあるから、幾つもの波頭に乗っかって、あまり気にならない。しかし横揺れに関しては、モンスーンの季節の最後でもあり、ほぼ真西からやや北西に転じる航路では南西からの偏西風をかなりまともに受けることになる。
 15日午後にはローリングはそれでもまだ13度だった。右左に大体同じくらい傾くから、26、7度をふらふらすることになる。

 私は航海中も毎日原稿を書くことになっていた。「毎日新聞」に小説を連載中だから、1日も休めない。私は旧式の巨大なワープロを持ち込んだ。何しろ10万トンだからかまわないであろう。プリントした原稿は、インマルサットを通じて新聞社に送る。もっとも初めての時は、インド洋上にいた衛星を呼び出したが怠け者でお休み中だった。距離的には明らかに遠いはずの太平洋上の衛星を呼び出したら通じた。衛星にも個性があるらしい、というのは嘘だが、人生は常に「手を換え品を換え」て生きる所だということを教わった。
 幸いなことに、私はまだ船酔いしていない。もっとも耳の三半規管がおかしくなっていても酔わないということだから、私の強味はそのおかげだろう。
 部屋に帰ってワープロに向っていたら、そのうちに書けなくなって来た。ワープロは滑らないのだが固定された椅子がくるくる廻るので、足を踏ん張っていないと、書けない。
 間もなく、足を踏ん張って机に向う姿勢にも疲れて来る。その代りベッドに寝ていれば、背骨を中心にマッサージ機の続きのように、体が絶えず転がされていて、血流がよ<なるような気もする。
 そこで偉力を発揮したのは、シンガポールで買って持って来ていた加圧インクを内蔵したペンである。このペンのインクには、3千ヘクトパスカルの圧力をかけてあるので、原稿用紙をライティング・ボードに挟んで仰向けに寝た姿勢のままでも書ける。
 まだ若い日に私は船の勉強をした。私は当時でも既に旧式だった「お缶を焚く」レシプロエンジンを搭載した貨物船に乗せてもらった。それ以来、プレジデント・ラインの客船にも、クイーン・エリザベス2世号にも乗ったが、私は働いている貨物船の世界に惹かれた。
 10万トンの船はけたはずれに大きい。それでいて機器の進歩で、かつて乗組員の人的構成としては当然だったパーサーも通信部員もいない。船橋には舵輪がないから、操舵手という職種もなくなり、その代り「エイブル・シーマン」という。
 スリランカのドンドラ岬と並ぶのが16日夜半、インドのコモリン岬を過ぎるのがそれから約13時間後。その辺りから揺れはもっと激しくなる筈だから、今のうちに私は、寝たまま書いた原稿を「週刊ポスト」編集部に送ることになった。(8月16日朝記)
 



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