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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: タンカーの乗組員  
コラム名: 透明な歳月の光 124  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/09/03  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ■折り目正しく禁欲的
 私は8月22日の朝、カタールのラスラファンという砂漠ならぬ土漠の中の港に着いて、足掛け11日間お世話になった商船三井のLNG船(液化天然ガス・タンカー)アルビダ号を下りた。
 港には見渡す限り緑の木1本もない。ガスタンクとそれを送るパイプラインが並び、午前10時を過ぎれば恐らくは50度を超す気温の中で、さらに廃ガスを燃やす煙突が気温を上げるのを助けている。
 船は正確に朝7時に入港した。5個で135000立方メートルの液化ガスを入れる球形のタンクは、マイナス130度にあらかじめ冷やしておくのだから、そのタイミングも厳密なのだ。
 ラスラファンに着いてからのことを、時々私は質問した。15日間かかって日本からカタールに着くのだから、船の方たちも1日くらいは交代で上陸できるかと考えたのである。
 しかし、積み荷作業は大体24時間。危険物を積み込む作業が行われているのだから、その間船長以下1人として休暇などは取れない。船はマストの上に、「危険物荷役中」の赤い燕尾旗を上げ、いくら一般人の立ち入れない特別区域とはいえ、航海中よりもっと緊張するという。終わると翌朝にはすぐ出港する。帰りも同じ日数かかって日本の港へ。そこでまた24時間で積み荷の液化天然ガスを下ろして再び出港する。家族が訪ねて来ることはできるが、自宅に帰ることも町へ買い物に出ることもない。そういう生活を長い場合には10カ月続ける。日本のエネルギーはこうした彼らの働きの上に確保されている。
 私は港からカタールの首都のドーハへ向かった。約100キロ離れているが、道がいいから約1時間で着く。そこには「湾岸」の新興オイルマネー都市にふさわしいあらゆるきらきらした施設がある。ショッピング・モールの中にはアイス・スケート場。ナツメヤシは昔から放牧民が荒れた手で保存食として食べていた素朴な食べ物だったが、今では有名店が、実を上等のチョコレートで包んで金色の箱に恭しく入れて売っている。それがなかなか洗練された味なのだ。地中海風のレストランもたくさんある。しかしアルビダ号の乗組員たちは1度もドーハにさえ行ったことがない。
 昔の船員はマドロス・パイプをくわえていた。「ポパイ」がそうである。しかし今のタンカーは危険物を搭載しているのだから、皆がくつろぐサロンにさえ焔(ほのお)の出るライターはない。自動車と同じ「タバコ火付け装置」があるだけだ。マドロス・パイプなどとんでもない話である。
 日本の演歌は、船乗りには港々に女がいるという印象を作った。しかし、今のタンカーでは乗組員は上陸もせず、入港中もテロ対策で外部の人間は一切舷門から入れない。船はもっとも折り目正しい禁欲的な職場であった。
 



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