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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 動物たちの五輪  
コラム名: 透明な歳月の光 123  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/08/27  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ■ハエの飛行距離に驚き
 8月13日の早朝、私が便乗を許された商船三井のLNG船(液化天然ガス・タンカー)アルビダ号は、シンガポールからカタールのラスラファンに向って出航した。船は約10万トン、全長約300米、カタールまでは9日間の航海である。
 13日に出航したのだから、ちょうどアテネ・オリンピックは私の暮しに入らなくなった。もちろん船には刻々と日本の通信社の、それも極度にオリンピックにかたよったニュースは入り続けていたのだから、それを読めば世界と隔絶していたわけではない。しかし私は普段からスポーツにほとんど興味を持っていなかったので、特に惜しいチャンスを逃したとも思わなかった。
 その間、液化した天然ガスをマイナス162度に保つ直径37米の巨大な球型タンク5個を背中に積み、私が心ひそかに「ゴジラの卵船」と呼んでいるLNG船は、インド洋を進み、スリランカのドンドラ岬を通過し、インドの南端コモリン岬を海図の上では廻って、アラビア海に入った。モンスーンの最後の時期だがまだ「波浪海域(ラフ・シー・エリア)」で、波高は3、4メートル、ローリングは常態で13度、瞬間的には20度に達した。そこを過ぎると、私は知らなかったのだが、ホルムズ海峡までの間にオマーン湾がある。
 左舷にオマーン、右舷がイランだが、或る日、船橋の内側に初めて2匹のハエを見た時は驚いた。シンガポールを出て9日目だから、シンガポールで乗り込んだハエなら、それ以前にも私たちの眼にとまった筈(はず)である。ハエ発見の地点を正確に計測すると、陸まで38・89キロの距離があった。トンボも船橋の外で数秒間並んで飛んだ。この地点はオマーンの海岸に45キロ、イランの岸辺に55キロである。
 同行者の話によると、マレーシアとインドネシアの中間にある小さな島で、蝶をいっぱい見た、という。その島は蝶が生息するような面積もないものらしいので、蝶は少くともどちらへ飛んでも30キロは飛ばねばならない。私の働く日本財団はマラッカ・シンガポール海峡を通る船舶航行の安全のための浮標の設置に働いているので、彼はその視察に行って蝶にも出会ったのである。
 ハエがどうして38・89キロも移動できたのか。怠け者びいきの私は、「どこかの船に途中まで『昼寝しながらたかって来て』白くて巨大な10万トンタンカーが見えたので、そちらに乗り移ることにしたんでしょう」と無責任なことを言っていたが、一言も発せず、応援の喚声も受けずに飛びつづける動物たちのオリンピックを洋上に見た思いだった。そう言えば、オマーン湾に入る前から赤い砂がアラビア海を何100キロも越えて飛んで来た。砂もオリンピックに参加していた。
 



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