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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 教わった「性急の愚かさ」  
コラム名: 透明な歳月の光 119  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/07/23  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【教わった「性急の愚かさ」】

 私は今年、ハゲイトウを育てた。ハゲイトウはぽんと切って花瓶に差しておいても、その強烈な色と葉の姿だけで、生け花の素養がない者でも、何とか部屋を簡単に飾れるのである。

 ハゲイトウと言ったら、若いお嬢さんで「禿イトウというのはどんな禿(は)げ方をしているんですか?」と聞いた人がいるが、これは「葉鶏頭」なのである。つまり鶏のとさかのように赤くなる葉を楽しむもので、その色の華やかさと変化は息をのむほどすばらしい。もう少し正確に言うと花芽の分化と同時に葉先が着色するのを楽しむ。

 本当はじか蒔きがいいのだそうだが、知らなかったので、「ミックス」と表示された種から小さな苗を仕立てて地植えしてしまった。ミックスという名前から見て多分いろいろな色のものが出るのだろう、とわかっていたはずなのに、私は微(かす)かに紫がかった真紅か、黄色ピンク赤などのまじり合ったものだけを意識していたので、幼苗の頃から赤さを見せたのはごく少ないのでがっかりした。

 どこがおもしろいのかわからないようなただの緑の葉っぱの苗が半分はある。私は少し腹を立て「緑色のは抜いてしまいます。それにしてもこんな種を売るのはひどいわ」と家人に文句を言っていた。そして事実私は何本かのよく育った苗を引き抜いた。

 しかし私の心に一抹の疑念はあったのだろう。私は不平を言いながらかなりの数の緑と赤銅色の単色の苗を残した。

 7月も半ばを過ぎた頃から、私の失望の種だったつまらない色の苗に劇的な変化が現れて来た。緑の苗のトップの部分には赤と黄色の染め分けの色が現れ、赤銅の単色だった苗の頭の部分は私の期待していた濃いショッキングピンクに変わって来た。私は引き抜いた数本の苗を思い出し、あれを残しておいたらどんな色のハゲイトウに育ったかと後悔し始めた。ものを知らないというのは恐ろしいことであった。

 しかし人間にもこういうことはよくある。「あいつはだめだ」と見切りをつけるケースに私たちは何度かぶつかる。殊に失望の対象が自分の子供たちだったら、ほんとうに悲しいことだが、それが現実だということは多い。

 しかし人間も、長い年月の後には、変わることも多いように思う。聖書にも、自分の畑に毒麦を蒔(ま)かれた地主の僕(しもべ)たちが、怒ってすぐ刈り取ろうとすると、地主が「誤っていい麦まで刈り取るといけないから、取り入れまで待って、それからいい麦と毒麦を分けよう」という意味の答えをするたとえ話が出て来る。

 善悪はいつかは正さなければいけないが、性急は最も愚かなものなのであろう。私は世の中のことをすぐ教訓的に見るのは好きでないのだが、畑仕事からは子供のように明快な知恵を教えられることが多い。
 



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