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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「歴史」に学ぶ  
コラム名: 透明な歳月の光 118  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/07/16  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【人生を深く見つめる知恵】

 参議院選挙の最中にたまたまヘロドトスの『歴史』を読み、実に示唆に富んだ違和感を楽しんだ。

 立候補者が、一斉に総理や対立する党のやり方を非難し、自分がやれば社会はこのような点でよくなるという。こういう自信は、他人が持っているものだから全くの嘘だ、と断定する必然はないのだが、『歴史』の前には色褪せるのである。

 現代の日本の政治家や国民は「安心して暮らせる」つまり「幸福な生涯」を要求しているが、ヘロドトスはその著書の中でアテナイの律法家ソロンが、「人間は生きている限り、なんびとも幸福であるとはいえない」と言い切った話を紹介している。ソロンはまたクロイソス王にも言う。「腐るほど金があっても不幸な者もたくさんおれば、富はなくとも良き運に恵まれる者もまたたくさんおります。極めて富裕ではあるが不幸であるという人間は、幸運な者に較べてただ二つの利点を持つにすぎませんが、幸運な者は不幸な金持ちより多くの点で恵まれております」

 金持ちは金によって欲望を満たし、ふりかかる大きな災厄に耐えるという二つの力はある。一方幸運な者は健康で不幸な目にあわず、よい子に恵まれ、容姿も美しく、うまく行けばよい往生も遂げられる。それこそクロイソス王が求めた「幸福な人間」なのだとソロンは答える。

 「人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。人間の身としてすべてを具足することはできぬことでございます。国にいたしましても、必要とするすべてが足りているようなところは一国たりともございませぬ」

 『歴史』が書かれた時期については、例によって学者の間でいろいろな説があるらしいが、幸いにして私は論争に加わる資格もないので、ただ紀元前五世紀頃と言っておこう。しかし今から2400年も前に、既に現代人よりはるかに賢い、人生を深く見る眼を持っていた人はいたのだ。

 今回の選挙では、年金問題と日本が多国籍軍に加わることが妥当かどうか、ということが争点だったという。恐らくソロンからみれば、これらは「人生の些事」であろう。『歴史』はまた「マネスの子アテュスが王の時」にリュディア全土に起きた飢饉についてふれている。この時リュディア人は初めはただこれに耐えていたが、気をまぎらす方法として、ダイス、骨さいころ、毬遊びなどの遊戯を考案し、「2日に1日は、食事を忘れるように朝から晩まで(これらの)遊戯をする。次の日は遊戯をやめて食事をとるのである。このような仕方で、18年間つづけたという」

 伝説的部分を考慮しても現代の我々の思考や生き方が、脆弱で幼稚に見えるのはどうしてだろう。
 



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