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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: イラク人質殺害報道  
コラム名: 透明な歳月の光 116  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/07/02  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【民意ねじまげてはならない】

 6月27日の毎日新聞の「余録」を読んで、全国紙の優秀な論説委員がこのような間違った民意の取り方をして記事を書くのは、大きな問題だと感じさせられた。

 過日、韓国の民間人が、イラクのテロ組織に首を切られた。この人はイラクの米軍に物資を納める会社の通訳をして生活の資を得ていた。テロ組織が公表したビデオの中で、彼は「私は死にたくない」と叫び、その母は狂乱状態で、テロリストが言う通り「政府は派兵をやめろ」と叫んだ。そのような状況を説明した後で、この記事は書く。

 「ここまでは、あの日本人人質事件を思わせる。違うのは世論の反応だ。日本ではインターネットなどで『自己責任論』が噴出した。危険を承知でボランティア活動に行ったのだ、自業自得だ、という人質叩き、家族叩きになった」

 これは途中で文意をすり替えている、不正確な記事である。

 多くの日本人の中には確かにこの通りに思ってインターネットでいやがらせのメールを送った人もいただろう。しかし私の周囲の多くの人の意識は違う。

 私は卑怯者だから、危険を冒すような行動は取らなかった。しかし危険に満ちた仕事でも、それを自分の任務と思って初志を貫徹する人には誰もが敬意を感じるのだ。

 日本の自衛隊派遣は、選挙の結果として日本人が選んだ政党の選択である。残念ながらそれこそが民主主義の原則である。私もブッシュ政権追従型のイラク政策には最初から反対だが、しかしそれが現政権の選択なら、個人の力でそれを覆そうとすることは、民主主義に対する挑戦にほかならない。

 自業自得だ、と思ったのではない。そこのところをこの論説委員は全くわかっていない。私たちは、尊敬したかったのだ。危険を承知なら、最後までその使命を受諾して、殺されようと長く拘留されようと、意志を貫く見事な人間の姿を見せてもらって尊敬したかったのだ。その期待が裏切られただけだ。

 その後で、橋田伸介さんと小川功太郎さんの事件が起きた。少なくとも橋田さんは、夫人の談話によると、自分が受けるかもしれない運命を予測しておられたように見える。そして夫人は愛し尊敬した夫の好きなようにさせた。

 それが卑怯者ではない人間の行為である。もちろんその途中で、どの人質も生きたいと願い、家族はあの人の命を救うためなら何でもしてください、と考える瞬間があって当然だろう。しかしそこまでの事態を予測して行動するのが、思慮のある人のやることだ。

 私はそうした人と自分を引き比べる。私は卑怯者の道を選び、何もしなかったという無力感を骨身にしみて味わう。読者は新聞のこうした何気ない文章の中の文意のねじまげに対して、敏感でなければならない。
 



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