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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: サダムの宮殿  
コラム名: 透明な歳月の光  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/06/04  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【よくも悪くもイラク人のもの】

 5月24日付けの毎日新聞はバグダッド駐在の特派員・山科武司氏の記事を載せているが、それによるとサダム政権の大統領官邸を、主権譲渡後、アメリカが大使館として使いたいと申し入れ、それに対してイラク統治評議会が反故しているという。これは大変いい記事だが、アメリカの国家的愚かさが改めて浮き彫りになった感じである。

 サダムの宮殿は、占領後、贅(ぜい)を尽くしたロココ風の椅子の上に、埃だらけの戦闘服の米軍兵士が座っている姿が、報道写真として出たものであった。その風景には何ら違和感はなかった。誰だって宮殿などという所は見たこともないのだから、恐る恐る入って見た兵士たちが、サダム気取りで金色のソファの上で記念写真を撮りたくなるのも当然だろう。

 しかしあれは、一つの歴史的建造物である。よくも悪くもイラク人のものだ。

 アメリカ側の理由は、他に収容施設がないし、損傷した建物をアメリカが大金をかけて直したということらしい。

 昔ルーマニアのチャウシェスクの宮殿を見たことがある。掛けたお金の総額はわからない、と案内人は言った。いるだけ使った建物だったのだろう。ベルサイユより1メートルだけ長い翼を持ったという建物は、しかしすばらしいものだった。材料も99パーセントまでルーマニア産。デザイナーも技術者もすべてルーマニア人。カーテンは修道女たちが祭服を作る技術で刺繍(ししゅう)した。

 チャウシェスクは小柄な人で心臓が悪かった。だから人民に姿を見せる屋上には、背を高く見せる足台と、手を温める温水を通す手すりがしつらえられていた。しかしまだ完成しないうちにチャウシェスクは殺された。

 その時気がついたおもしろいことは、20世紀に「宮殿」を作った人はすべて社会主義政権の独裁者だった、ということだ。資本主義社会では誰が一番のお金持ちか私は知らないが、ニューヨークにある金色のトランプ・ビルもトランプ氏個人の住まいではない。オナシスもプレスリーもマイケル・ジャクソンも豪邸を作ったが、宮殿は作れなかった。

 サダム・フセインの宮殿は、新政権の大統領官邸になるのが当然だろう。そうすれば、イラクの戦後で金を稼げる確実な観光名所になる。ルーマニアのチャウシェスク宮殿も同じ意味で大切な場所だと私は思ったが、その意味では悪名高かったチャウシェスク大統領も、人民に恩恵を残した。

 そういう建物を、アメリカ大使館にするという。ブッシュだか、アメリカ人だかわからないが、何と人間の心のわからない人々だろう。

 アメリカ大使館として使えば、すぐロケット弾の標的になるだろう、ということくらい、想像しないのだろうか。
 



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