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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 東南アジアの美徳  
コラム名: 透明な歳月の光  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/05/28  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【生活に息づく礼儀と宗教】

 小心な私は、外国のホテルに泊まると、必ず入口の電燈だけつけて眠る。緊急の脱出の時慌てなくて済むだろう、という計算と、これで眠っている間に泥棒に入られなくて済むからである。恐らくホテルの従業員の仕業だと思われるしのび込みは、入口の電燈がついていると、中の宿泊人はひょっとして起きているかも知れないと思うだけで気持が悪いらしく、私の同行者が軒並み枕捜しの被害に遭った時も、私の部屋だけは無事だった。

 ミャンマーの田舎の町のホテルでも、つけて寝たはずの電気が夜中に目覚めてみると消えていて、あたりは漆黒の闇である。停電なのだ。私はハンドバッグの中にちゃんと懐中電灯を用意しているから少しも困らないけれど、停電は朝になっても断続している。

 眠る前には、壁でチッチッと守宮(やもり)が鳴き、外の池では食用蛙が一匹独特の声で鳴き続けてうるさかった。夜空には雲の流れるのが鮮やかに見え、その間に星が光っている。

 あらゆるインフラは遅れているけれど、この国は住みやすい、人々も幸福だ、とここに住む日本人は口を揃えて言う。停電になると、仕方なく人々は一本の蝋燭(ろうそく)かランプのまわりに集まる。もちろん蝋燭やランプの油代を節約するためである。そこで自然に家族が自覚される。自分の部屋には親にも入るな、などという子供の無礼と横暴は環境が許さない。

 田舎の学校では道端の両側にしゃがんで喋っているお母さんたちの前を通る中学生が「前を失礼します」という態度で、皆小腰をかがめて行く。日本の学校の先生たちが教えていない礼儀である。

 こちらで日本財団がやっている小学校建設のために長く働いて下さっている平野喜幸氏が短いエッセーを見せて下さった。

 氏によるとミャンマーでも貧しいが故に泥棒をする人はいる。しかし驚いたことには泥棒に入られても、泥棒を責めずに、自分が盗まれたのは前世で悪いことをしたからだ。だからその時の清算をするために泥棒を許す、という仏教徒的考え方をする人が、すべてのミャンマー人ではないにしても、少なからずいる、ということだという。何が起きても、すべて他人や国の機関の整備が悪い、と考える日本人とは対照的な自己責任論が、こういう仏教国にあると知るのも又、新鮮な驚きだった。

 帰りにタイを通ったので、車を頼んで短い観光をした。空港までは高速道路ができて時間がうんと短縮されたが、町はどこでもいつでも渋滞している。大きな寺院の前を通りかかると、まだ三十代の終わりと思われる運転手さんは両手を合わせて拝んだ。商売をしながら一日に何度もお参りができる。こういう瞬間に私は強烈に人間味を感じる。渋滞もまた意味あるものに思えてくる。
 



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