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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「城砦だらけ」  
コラム名: 昼寝するお化け 第299回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2004/04/29  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   春の復活祭の頃に、ザルツブルグでは有名な音楽祭が行われる。私が働いている日本財団はその音楽祭のスポンサーになっているので、関係者にお礼を言いかたがた出席した後、友人たちとひさしぷりに南仏のコート・ダジュールに遊びに行ったのである。そして世界的レベルの金持ちの、リゾート風豪邸の立ち並ぶコート・ダジュールとはおよそ違う印象の南仏を存分に味わって来た。

 どの旅でも新しい発見をするものだが、イラクで厳しい内戦が続いている時期にヨーロッパの町や教会を訪れると、改めて人間生活の厳しさを感じる。教会も町も、その原型は「城砦」なのである。ドイツやオーストリアによくあるハンブルグ、ザルツブルグなどという町の名前に共通しているブルグは、「城郭」「居城」「退避所」などという意味だが、古い町は必ず城砦の姿を取っている。とにかく人が生活する所は、どのような場であれ、その日から「外敵」を防ぐための防備が必要だったのである。

 古い教会の中には、教会そのものが城郭であるものも多い。必ず中庭があってそこに井戸があり、周囲の回廊に面して部屋が並ぶという構造である。ザルツブルグで日曜日のミサに行った教会では、その一つ一つの部屋が修道士たちの仕事場になっていた。仕立屋、ペンキ屋、大工、左官、靴屋、などの仕事をする修道士たちの工房なのである。

 ヨーロッパでは男子の修道院に行くと、よく「この人は靴屋です」とか「この人は左官屋さんをやっています」とか言って紹介される。修道院に入るまでやっていた職業を、中でもそのまま続けているのである。神の前では、別に大臣や学者が偉いのではない。「自分に与えられた才能で人に尽くす人が神から見ても最高の人」だからである。

 しかし修道院が、高い壁を持つ城だと言うと、日本ではよく「信仰があるのに、なぜ人を信じられないのでしょう」と言われる。信仰があろうとなかろうと、防備がなかったらその日のうちに殺され奪われるのが当然の社会だから、修道院も、隊商宿(キャラバンサライ)も、町自体も、すべてまず分厚く高い壁で防備する。こういう基本的な危機感がないから、イラクの人質事件の本質も一向に理解できないのである。

 今日は4月14日で、まだ人質になった3人の日本人の安否は分かっていない。いずれにせよ、身代金の額の交渉が行われているのだろうから、長くかかるのは当然だ。アラブ社会には定価というものがほとんどない。何ごとも粘り強い交渉次第で値段が決まる。人を返すか返さないかは、彼らからみると高額商品の取引に当たるから、交渉も長引く。自衛隊が引く引かないは、犯人側の口実に過ぎない。つまり実際に引いたら、それに怒って人質を殺してしまうことさえ容易に考えられる。なぜなら、軍隊の駐留もまた、必ず金になることを知っているのも、アラブなのである。

 新聞は、政府も国民ももちろん人質の家族も、「情報」の不足にいらいらしている、というような書き方をしている。しかしこれがおかしいのだ。もともとイラクには私たちの考えるような中央政府などないのだから、そのような社会に確実な「情報」などあるわけがないのである。そこにあるのは「風評」か「噂」だけである。

 昔の隊商宿は、四角い高い壁を周囲に張り巡らしたやはり一種の城であった。土間だけの部屋が壁に添って並び、やはり中庭があってそこに井戸があるという原型は、ここも同じである。泊まり客はその貴重な水で顔や手を洗い、ラクダに水を飲ませる。タ暮れまでに客たちが到着すると、宿の主人は大戸を閉め、うちからしっかり閂(かんぬき)を掛けて、それでやっと一夜の総合安全保障が完成するわけである。

 中庭には、炊事用の火も燃やされていたであろう。客たちは燃える火の廻りに集まって、そこで泊まり合わせた客たちからいろいろな話を聞く。アラブ社会の情報というものの原型は、この隊商宿の中庭のおしゃべりと本質においては同じものである。

 日本人の考える確実で統一された情報などというものは、組織化された社会が基盤にあり、伝達の方法が安定している場合だけしかあり得ないのである。電気もない村があちこちにある部族社会で、正確な情報など伝えようがない。電話もメールもなければ、どうやって情報を送るのか。あるのは口から口へ伝わる「風評」と「噂」だけである。だから政府やマスコミや家族が「情報がない」とか「情報が錯綜している」とか言っているのを聞くと、私は不思議な気がする。

 「イラク国民」のために働く人間を誘拐するとは何事だ、と日本人は言う。しかし「イラク国民」などというものも実質にはないのである。人道のために働く、というような一般的な姿勢は通じるはずだと思うのも、日本人だけのひとりよがりな判断で、彼らが問題にするのは、どの日本人がどの部族のために働いているか、だけである。日本からのボランティア団体の活動によって利益を得るのが自分の部族でないならば、そのポランティアは「いいことをしている人」ではなく、全く縁のない人かむしろ悪いことをしている人、ということになる。その意味では、自衛隊の活動も、西側社会からは正義の戦いへの参加と認められ、イラクに住む人たちからは「サマワの部族のために働く人たち」と判断されているだろう。

 人質を取るのは思想のためではない。手っとり早い金稼ぎの方法である。貧しいということはすべての動機になる。貧しければ、人は盗みもするし他人を誘拐もする。時には人殺しをして持ち物を奪う。そうしなければ、生きて行けないのだから仕方がない。

 家族が「あなたたちのために働こうとしたのだから一刻も早く返してください」と犯人に言う気持ちは、日本人としてはわかるが、向こうでは全く通じない論理であろう。返してほしけれぱ、金を持って来い、というのが彼らの常識だ。だから署名を集めて日本の総理大臣に届けても何にもならない。むしろ署名したい人々からは、署名の代りに身代金のカンパを集めた方が役に立ったのである。

 コート・ダジュールの海岸には、恐らく海からも陸路からもやって来たであろう海賊や盗賊に備えて、厳しい岩山を選んで作った町が点在している。迷路だらけのカスバのような町、と書こうとして調べたら、カスバも「城砦、または城壁で囲まれた区域」という意味だった。世界中のあちこちに、まだ略奪、強盗、婦女誘拐の現実的な恐怖の記憶がしみこんだ町の姿が残っているのである。
 



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