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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ルワンダ虐殺から10年  
コラム名: 透明な歳月の光 107  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/04/30  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  【人はどこまで残虐になれるか】

 この4月6日、内外の新聞は一斉に、10年前のルワンダの虐殺について書き立てた。1994年4月6日、当時のルワンダ大統領ハビャリマナの乗った飛行機がタンザニアのダルエスサラームから帰国の途中、狙撃され墜落した。同乗していたブルンジの新しいフツ族出身の大統領も死亡した。国営放送はすぐに大統領暗殺の犯人として、過去の迫害で国外に亡命していた反政府軍ルワンダ愛国戦線を挙げたが、現実は、長年、支配階級と考えられていたツチ族を、フツ族が虐殺したのである。その悪夢のような虐殺から今年で10年が経った。

 或る年、私は盲人や車椅子の方たちと恒例になっている「聖地巡礼」の旅程の中でローマに立ち寄り、教皇謁見のためにサン・ピエトロ広場にいた。私たちのグループの一人一人の障害者を特別に教皇にイタリア語で紹介することを引き受けてくださっていたのは、当時バチカン市国国際諸宗教事務局次長だった尻枝正行神父だった。教皇が出てこられるのを待っている間に、尻枝師は私に、アフリカの特定の国名や地名は明示されなかったが、神父たちが殺され、修道女の中にはレイプされた事件も出ていることを語られた。援助ということは、死かそれと同等の傷を受けることを覚悟の上でしなければならないことだ、と私が教えられたのもその時であった。

 1997年に、私は偶然ルワンダに立ち寄ることができた。もっともその頃はまだ、虐殺の資料も極度に少なく、私は全貌を掴んでいなかった。殺された人々は80万人とも100万人とも言われ、虐殺の理由もまた複雑であった。標的になったのは当然ツチ族だったが、ツチと結婚しているフツ、ツチと親しかったフツ、外見がツチに似ているフツもまた殺された。

 ルワンダで私が見たものは恐ろしい光景であり、すさまじい死臭だった。一つの教会はまだ虐殺の現場をそのまま残していた。頭蓋骨や手足の長い骨を含む遺骨が散らばり、おそらく当時は血まみれだったにちがいない蒲団や食器や履物や銃弾で穴の開いた水の容器などが、祭壇の近くにまで散乱していた。教会に集まった人々は手榴(しゅりゅう)弾を投げ込まれ、機関銃を撃たれ、ガソリンを流し込まれて火をつけて焼き殺された。或いはマチェーテと呼ばれる山刀や、釘を植えた棍棒(こんぼう)で撲殺されたのである。

 事件から10年経った今、私はルワンダ虐殺をテーマに『哀歌』という新聞連載小説を書いている。人間はどこまで残虐になれるか、という可能性は決して過去のものではない。ナチスのユダヤ人虐殺が終わってもまだ、同じような残虐は世界中で続いている。「アフリカには平和というものを一度も見たことがない人がいる」と言った人の言葉が、私には忘れられないのである。
 



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