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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: アラブの海洋国オマーン(上) いんげん豆はどこから来るのか?  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2004/04/06  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 「マスカット」、山が海に落ちる ≫

 昨今、「オマーン」の知名度が上がっている。サッカーのワールド・カップ、アジア予選の同じ組にこの国が入り、新聞やTVのスポーツ番組にしばしば登場するようになったからだ。だが、サッカーで名前は知られたものの、この国の中味はいぜんとして未知のままだ。

 オマーン。アラビア半島の海洋国家だ。正式の国名は、オマーン・スルタン国(Sultanate Oman)という。

 スルタンとはイスラム教国の君主のことで、英語名を訳すと「スルタンの領地・オマーン」ということになる。私は2003年の6月、この国を訪れた。オマーンとはいったいどういう国なのか。オマーン人の描く“自画像”から始める。

 「数千年もの間、オマーンは東と西の海の貿易ルートの要所を占めていた。オマーンの船乗りは世界に広く知られ、遠い国まで商売に出かけた。西洋の蒸気船にとってかわられるまでは、オマーンの帆船はインド、中国にまで出かけた。古代のオマーンはメソポタミアに銅を、ローマに乳香を輸出した。中世のオマーンは世界の富の集散地だった。大きな城や素晴しい家が築かれた。だが100年ほど前、この国は一時的に衰退、内戦が起こり鎖国した。

 しかしオマーンの国際社会からの孤立の時代は、1970年のスルタン・カボースの登場によって終止符を打った。いまやオマーンは、輝ける歴史と伝統を尊重しつつ、石油など天然資源の有効活用によって、急速に近代化が進められている。平和と繁栄の新時代をめざして…」。

 これは、現地で求めた「オマーンとそのルネッサンス」と題するガイドブックの裏表紙から抜き出した説明文だ。もうひとつピンと来ない人のためにはこんなエピソードもある。

 昭和のはじめ、オマーンのタイムール王が日本にやってきて日本女性と結婚、神戸に滞在し「ブサイナ」と呼ばれる王女をもうけた。日本はオマーンと同様の君主国であり、かつ海洋国家であるとして、この王は日本に強い親近感をもっていた。現国王、スルタン・カブースのおじいさんにあたる人だ。

 オマーンの対日輸出品のトップは石油で、1日に27万バーレル。といっても実感がわかないだろうが、一升ビン(1.8リットル)に換算すると2300万本もの原油を毎日日本に積み出している。日本の石油消費量の7%に相当する。石油に次ぐ対日輸出品は、何といんげん豆だった。日本の冬場のいんげん豆の97%は、オマーン産で商社の丸紅が一手に買い付けていたのだ。

 この国の首都マスカット入りしたのは、隣国UAEからであった。アブダビ空港から飛行時間、55分。わずか400キロの移動だったが、「砂と海のアラブ」ではなくここは、「海と山と緑のあるアラブ」であった。マスカットはアラビア語で「山が海に落ちる場所」の意味だと聞いた。その名の通り、オマーンの首都は2500ヘクタール級の山々の連なるハジャル山地に三方を囲まれ、海岸のすぐ手前まで岩山の迫る古い港町だった。

 「やっとアラビアの町にやってきたような気がする」。案内役を買って出てくれた日本大使館の若手外交官、小沢健一書記官にそう言った。「隣りの国のアブダビとドバイ。不毛の地をオイルマネーで緑化した人工都市です。あちらの自然は単調で無味乾燥の砂漠だけ。こちらは、海あり、山あり、岩あり、谷あり、そして砂漠も沢山ある。多様性に富んでいる」。小沢さんの答である。

 アラビア半島の東端に位置し、国の北東部はオマーン湾、南東部はアラビア海に面している。ペルシャ湾への入り口、ホルムズ海峡のムサンダム半島に飛び地をもっている。湾岸諸国に出入りする船を見張る要所だ。国土面積は日本の4分の3、そこに240万人が住んでいる。海に平行して南北に連なるハジャール山地が供給する水が、首都をはじめこの国の東側の地域を緑のある多様で豊かなアラビアたらしめている。

 民を養なう「母なる山」である。だがオマーンには「母なる川」はない。カラー印刷されたマスカット市の地図をひろげた。町のどまん中を水色に塗られた川が絵がかれている。ところが、行ってみたら幅40メートルほどのこの川には水がなかった。商店街、ホテル、バスターミナル、中央銀行などのある繁華街を、砂利を敷きつめた溝のようなものが貫通し、ところどころに橋がかかっている。

 一瞬、大旱魃と思ったが、そうではなかった。地図もよくよく見たら「川」ではなく、「Storm Channel」とあった。マスカットの「母なる山」にごく稀に激しい雨が降ると、樹木が少なく保水力がないので、急峡な山を鉄砲水がかけ降りてくる。これを海に流すための排水路だったのだ。

 「雨期(冬)にしか水はありません。アラビア語では、この種の枯れ川をワジ(wadi)と言います。ことしの3月、橋の上で昼寝していた人が突然の増水で流されて死んだ」

 「エッ。橋の下の間違いでしょ」

 「いえ、橋の上です。山に豪雨があると2時間もするとワジに水が溢れるんです。乾燥したこの国の人は、ふだんは雨が降ると良いお天気ですね、とあいさつするほど雨に飢えているのですが、1年に1回くらいは大洪水に見舞われる。あのときは、オマーン一帯で13人が溺死したと新聞が伝えていた」。

 マスカット在勤2年の小沢書記官との問答だ。
 



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