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著者: 山田 吉彦  
記事タイトル: 北朝鮮工作船一般展示のはなし  
コラム名: ESSAY  
出版物名: Marine  
出版社名: (株)日刊海事通信社  
発行日: 2004/01/10  
※この記事は、著者と(株)日刊海事通信社の許諾を得て転載したものです。
(株)日刊海事通信社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど(株)日刊海事通信社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   東京お台場にある「船の科学館」において実施されている北朝鮮工作船の一般公開には、150万人にのぼる見学者が訪れている。既に皆様ご存知の事と思われるが、2001年12月、九州南西沖海域に出没し、海上保安庁の停船命令に従わず銃撃戦の後、自爆沈没した不審船「長漁3705」号である。2002年、海上保安庁は、58億円の国費を投入し、中国の排他的水域内の海域から同船を引き揚げた。引き揚げられた船は、鹿児島に運ばれ第十管区海上保安本部により詳細な調査が行われ、その結果、船内からは、多量な武器と通信機類などが見つかり、重武装した北朝鮮の工作船の実態が明らかになった。また、この船は、1998年に発生した覚醒剤密輸事件において輸送船の役割をしていた「第十二松神丸」と同じ船であることが判明している。「長漁3705」から回収した日本製の携帯電話の通信記録からは、この船の乗組員が日本の広域暴力団と連絡をとっていたこともわかっている。

 日本財団は、日本を取り巻く海の現状を多くの国民に理解してもらいたいとの願いから海底から引き揚げられた北朝鮮工作船の一般公開を海上保安庁に対し提案した。その結果、2003年5月、捜査を終了した工作船は、証拠品から解除され、海上保安庁の外郭団体である財団法人海上保安協会へ引き渡され、日本財団の企画により、船の科学館にて一般公開する運びとなった。

 この工作船の輸送と一般展示には予想以上の困難が待ち受けていた。長さ30m、幅5mある船体を輸送することは容易ではなかった。鹿児島における保管場所であった造船所から499トン型のバラ積貨物船に積み込み、厳重な固縛を行い海路東京へと輸送した。船は、当初、3日間の航海で東京に着く予定であったが、途中、紀伊半島沿岸で時化に遭い、伊良湖沖にて錨泊を余儀なくされた。多少の予定の変更は予想していたものの東京での陸揚げのためのクレーン船の手配が極めて困難であった。東京湾内では、浚渫などの港内作業が数多く行われていて、クレーン船の数が不足していたのである。工作船の陸揚げのために予約しておいた700トン吊り上げ可能なクレーン船は、翌,日から第三海塗の浚渫作業の予定が入っており、この日をはずすと当面手配がつかない状況であった。

 クレーン船は、第三海塗の浚渫作業の発注先である国土交通省港湾局の好意により、工作船の陸揚げを優先していただくことができ、5月27日、予定より1日遅れで陸揚げ作業が行われた。当日は、朝からマスコミ各社が「船の科学館」に取材に訪れ、北朝鮮工作船の東京登場を待ち構えていた。

 船の科学館前の水産庁桟橋に、工作船を積んだ貨物船が横付けされ、待ち構えていたクレーン船がアームを伸ばし、船内から赤錆び色の船を吊り上げた。吊り上げられた船は、岸壁に並ぶ椰子の木の上を越え、船の科学館の敷地に下ろされた。北朝鮮工作船の東京上陸の瞬間は、テレビ、新聞、雑誌などで日本中に紹介され、注目の的となり、1週間のワイドショーにおける報道時間の長さの第1位になったほどである。お台場上陸から数日間、日本財団広報部員は、各テレビ局の早朝番組の取材のため、夜明け前から対応に追われ、眠る時間も無いほどであった。

 5月31日土曜日、一般公開の初日は、前線の通過にともない大雨となった。しかし、公開を待ちきれない見学者が、朝から傘を差しながら、列を作り、開場を待っていた。この光景を見て、北朝鮮工作船への国民の関心の高さをあらためて感じた。公開開始は正午からの予定であったが、開場を早め、午前10時過ぎから見学者を受け入れた。

 初日の来場者数は、7000人であった。翌日の日曜日は、前日とは打って変わって初夏の青空がひろがり、朝から見学者が長蛇の列をつくった。この日の見学者数1万2000人、見学のための最大待ち時間は、90分以上になり、見学の流れを良くするための効率的な仕組みを検討せざる得なくなった。

 一般公開開始後、小泉総理大臣、石原東京都知事などの著名人の視察が続き、その度、マスコミにより紹介されたこともあり、6月後半の日曜日には、見学者が2万人を超える盛況となった。

 日本財団では、北朝鮮工作船の一般展示に関して、財団法人海上保安協会への助成金として8000万円の緊急予算を組んだ。その中で、開催期間中(約4ヶ月間)の警備費用がおよそ3000万円を占めている。当初、警備については、海上保安庁による全面的な協力を期待していたが、地元警察から自主的な警備を行うようにとの指導があり、日中は常時10人以上の警備体制をとっていた。前年に兵庫県で起こった花火大会での将棋倒し事故のような人ごみでのトラブルの防止と北朝鮮関係者からの妨害工作に対する備えが必要だとのことであった。幸い両方とも事故は起こらず、150万人の見学者が訪れた中、事故らしいものといえば、雨の日に女性が足を滑らせて転んだ程度のものであった。イベントの運営にあたっては、事故がないのが何よりのことであり、備えあれば憂いなしということだろうか。

 当初、一般公開は9月末日までの予定であったが、公開の継続を求める声が多く寄せられ、来場者が絶えることがなかったため、日本財団は、2000万円の追加予算を組み、2004年2月までの延長を決定した。秋に入ってからは、修学旅行で訪れる学生の姿が目立ち、今後を背負う日本の若者の海に対する意識の変化を期待させてくれた。

 8月の夏休み期間中、北朝鮮工作船を見学に訪れた人々の内、3000人に来訪動機などに関するアンケート調査を行った。一番多かった来訪動機は、「話題になっているから」というミーハーともいえるものであった。しかし、来訪者の80%は、この工作船を見た後、「日本を取り囲む海に対する認識が変わった」と答えている。日本の海上保安に対する問題意識が高まってきたことは、公開主催者側として喜ばしく思っている。

 一般公開が始まる2日前、私の勤める日本財団の曽野綾子会長から工作船にゆりの花を供えたいとの依頼があった。花の傍には、「2001年12月22日、九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義共和国の若者たちに捧げる。日本財団会長 曽野綾子」との文が日本語、英語、ハングル文字で添えられている。

 北朝鮮工作員のうち遺体が回収された8人は、今、鹿児島市の無縁墓地に葬られている。

 国際理解を深めるということは、極めて難しいことだとこの事件を通して痛切に感じたが、また、このような人々を出さないためにもあきらめずに続けなければいけないことだと肝に銘じた。
 

公開中の北朝鮮工作船、見学数が150万人 を突破!  
工作船の展示、船の科学館で開始!  


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