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去年、「世界の貧困」を視察する目的の私たちのグループが、南アフリカ共和国へ行った時、まずフランシスコ会の根本昭雄神父がヨハネスブルグでやっているエイズ・ホスピスを訪問した。70人の入院患者を収容できるホスピスでは、毎日1人以上の死者が出る。8人の遺体を安置できる霊安室の棚がいっぱいになって(ということは1日2日のうちに9人の死者が出て、まだ迎えに来る人もなく残されていたので)止むなく最後の1人を床の上においたこともあった、という。
ホスピスの別棟で暮らしている子供たちは、すべて両親をエイズで失った孤児たちで、彼ら自身もHIVプラスである。3、4歳では跳ね回って遊んでいる元気な子供でも、根本神父によれば、通常は学齢まで生きない。
いつもここへ来ると私は少し心が暗くなる。しかもこれほど地下資源の豊かな国でありながら、新聞の話題は、強盗、殺人、レイプばかりである。
エイズ・ホスピスばかりでは知識が片寄るので、私はここで長い間住んでおられる経験豊かな商社マンから、南アの実情を視察団のメンバーに聞かせてもらおうとして、一晩だけヨハネスブルグ近郊のサファリ・パークにでかけることにした。動物たちの深い森は空気も清浄で、夜更けまで静かに人の話を聞くのにはまことに適した場所なのである。
サファリ・パークで夕方と夜明けの二度、動物を眺め、離れ象にも脅されてから、私たちは帰国のために直接空港へ向かおうとバスに乗っていた時であった。突然私はおかしな気分に囚われ、運転手さんに尋ねた。
「昨日か一昨日かわかりませんが、この辺りで何か大きな事故がありましたか?」
「いいえ」
と運転手さんは答えてから、
「どうしてですか?」
「だって今左側に見えた空き地に、まだ土の濡れたお墓が10基くらい並んでいました。土の濡れたお墓が、一度に10基並ぶことなんて普通ないでしょう。だから10人くらい死ぬような事故があったのか、と思ったんです」
「いや、事故なんかありませんよ。ここは炭鉱町ですからね。あちこちから労働者と、彼らを目当てに娼婦が集まって来ます。そういう人たちが1日に10人くらいはエイズで死ぬんですよ」
土が濡れていた墓には、まだ墓標もなかった。取り敢えず埋めた、という感じである。しかもその場所は、ただの道端の荒れ地のような所である。墓という形の、地面のわずかな盛り上がりを、私の視力の悪い眼が捉えたのは、上出来と言いたいところだが、私の神経の方が敏感だったのである。
フランシスコ会のエイズ・ホスピスでも、若い女性の死者が、単なる数の上だけでも男性よりはるかに多い。それは多分、彼女たちが売春をしていたからなのである。日本のように、ブランドもののハンドバッグがほしくて「援助交際」という名の売春行為をするのではない。貧しくて食えない両親や弟妹たちを生かすために、身を売ったけなげな娘たちだったのである。
たまたま読んだ英字新聞によると、毎土曜日、ブラックの人たちが多く住むソウェトの町の細い道からは葬列が後から後から際限なく続いて来る。アヴァロンの町営墓地に行くためである。そこは172ヘクタールもある広大な墓地なのだが、1日に250基もの墓が新しくできる時もあるので、早くも場所がなくなりかけている。
南アは世界一のエイズの発症件数を示している。毎日約1千人が死んでいるが、ケープタウン大学の研究によれば、もしこのまま政府がレトロ・ヴィールスに対する特効薬の支給を開始しなければ、今年は42万と見なされる死者の数が、2009年には71万人になると見なされている。
そんなに人が死ぬなら、葬儀屋はさぞかし儲かるだろう、と思うのが、浅ましい人間の計算だが、葬儀屋の収入は減少している。エイズで死亡する人の家族は、そんなにお金のかかる葬儀を出せない。何人もの家族が同じ病気で死ぬ場合もあるし、一家の稼ぎ手が死ねば、その分だけ収入が減るからである。
家族の働き手であったような青壮年が死ぬと、家族は貧困の中に取り残されて、死者は貧しい人たちのための墓地に葬られる。公園や墓地の管轄をしている人によると、ヨハネスブルグは、職を求めて来る人たちの流入によって、たった7年間に280万人の人口が400万人にも増えてしまった。そのような人口の爆発が、墓地の急激な不足を招き、「スーパー墓地」の開発に繋がったのである。 「過去5年間の埋葬件数は、年間1万8000くらいでしたが、今年はもしかすると2万5000人くらいにはなるかもしれません」
と関係者は言う。私が見た濡れた墓が並ぶ光景は、まさにこの記事の内容と同じ傾向を示したものだったのである。
今や南アでは、1日に2000人がエイズにかかっている。エイズは仮に健康な25歳の青年が感染した場合、発症までに約10年かかると言われているが、1990年代に爆発的に拡がったエイズの感染の結果が、最近になって顕著に南アで現れているのである。
南アに行く度に私は、日本人がその生涯を、守られ、尊厳を持って扱われていると感じる。
しかしたとえばスウェーデンではどうか、という疑問が湧いて来る。スウェーデンはいつも先進国の手本であった。空気は清浄、町は安全、交通の便はよく、労働者の権利は守られ、子供に関しては助成金がたっぷり出る国である。スウェーデンというのは、私たちの意識の中でそういう国であった。
しかしこの10月に、900万人の人口を持つこの国の、実に80万人が??これは労働人口の実に5分の1に当たるが??病気で休むか早期に養老年金を貰った。
他のEUの国々よりたばこや酒を飲まず、スポーツは盛んで、国連のランキングによると、世界で3番目に高い生活水準を保っている国の、それが実態だという。
スウェーデンでは、高額所得者は60パーセントの所得税プラス富裕税と家屋税を払う。4人のうち3人は、働いて稼ぐのと福祉でもらうのとの差が1日に1500円くらいにしかならないので、ばからしいから家にいようという人が増える。長期療養は無期限。育児休暇は480日、失業保険は就業時のサラリーの80パーセントをカバーする。これでは働くのが嫌になる人は増えるばかりだとシンガポールの英字新聞は書いている。
国家が人間を放置するのもいけない。しかし甘やかすのも国を亡ぼす。賢く生きるということは意外とむずかしいものなのだ。
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