共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 高齢者介護?人の世話にルールはない  
コラム名: 透明な歳月の光 91  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 2004/01/09  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   自分が高齢者になっただけでなく、あちこちに年寄りが増える実感があると、若い世代に迷惑をかけず、どうしたらこの時代を乗りきれるかとしきりに考えるようになる。

 体が不自由になっても、自宅にいたがる年寄りの気持ちはよくわかるが、私はやはり年寄りの義務は、若い世代にできるだけ自由を与えて、本来の仕事をさせることだと思っている。私自身は親が年を取ってからできた子だったので、親たち3人(自分の母と夫の両親)の自宅介護を、自分自身が比較的体力のある若いうちにすることができた。しかしこう高齢者の比率が増えて来ると、年寄り自身が「まとめて面倒を見てもらう」決心をすることが義務のように感じている。

 日本の若い世代も中年も、介護の仕事には非常に熱心なのが、私には意外で、感謝と尊敬を感じている。ただ行政の方は必ずしもこうした市民の善意や優しさに応えていない。

 自宅に行ってちょっと生活のお手伝いをしたり、グループ・ホームのような所で数人集まって暮らしているお年寄りを見るのに、どうして介護者が資格を取ったり、そのための講習を受けるのに順番待ちをしたりする必要があるのだろう。

 掃除の仕方、煮物の味、おむつの当て方、皆1人ずつ好みが違うのだし、そんなものは高齢者当人や、介護をしていた前任者から数日習えば済むことである。

 グループ・ホームだって、寄り集まって生活をする、というだけで特別の考え方をする必要はない。普通の主婦をしていた人なら、簡単なおかずくらいは作れるはずだし、前任者にやり方を教えてもらって踏襲すれば済むことである。コンビニ弁当とデパ地下のおかずだけで暮らして来た人がグループ・ホームの介護をすることになっても、心さえあれば、何とかお世話はやっていける。

 グループ・ホームは家庭の延長だ。だから素人の介護者が、素人の眼と知識と気働きで、できるだけおいしいものを出し、できるだけ清潔にしてあげ、できるだけ楽しい計画を立ててあげればいいのである。もちろん何を食事に出したかの記録をつけることも必要だし、時々、抜き打ちで一定の清潔が保たれているかの査察もいるかもしれない。しかし家庭と同じように考えればいいのだ。手を抜く日もあるし、外食、出前を混ぜた方がいい場合もある。

 資格だ、講習だ、と官庁の規則が厳しくなればなるほど、業者が儲ける余地はできるだろうが、気楽にお世話をしたい人がびびってしまう。

 人間が人間の世話をするのに、ルールはないのだ、ということを、はっきりと認識した方がいい。温かい心と常識があれば、それなりにやって行く。何より大切なのは、会話をすること、外の空気を持ち込んであげることだと思う。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation