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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 分裂した心  
コラム名: 昼寝するお化け 第290回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2003/12/19・26  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ブッシュ大統領は、サダム・フセイン打倒の目標を、イラクを解放し、民主主義国家にすることだ、としていた。

 このこと自体はまことに結構なような話だが、他人に自分の価値観を押しつけるという点で、私には不愉快なものに感じられる。もとより、私も民主主義以外に適当な他人との暮らし方はない、と思っている一人だ。しかしそれは、当人、当国が自ら望んだ場合だけである。民主主義はいいものだから、この国にもその同じような状態を与えてやるべきだ、というのはやはり一種の圧政である。

 解放というものは、さまざまな面で行われるのだが、その1つは、女性の生き方である。

 イラクではないが、初めてイランに行った時、私もまたイスラム教徒の女性の服装をすることになった。自分で真似したいと言ったのではない。私が働いている日本財団が、イランのUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に100万ドルをクルド難民救済のために支出したので、その使われ方を見に行くためであった。

 訪問が決まってから、イランに入るにはすべての外国人にも適用される服装規定があると知らされた。

 「女性はヒージャブという長着を着なければならないんだそうです」

 「なんですか、それは」

 ヒージャブは他のイスラム国ではチャードルとも呼ばれ、テントを意味する。つまり体をテントのようにすっぽり覆って、淫らであるとされる体の線を隠すために用いられるのである。イランでは1979年のイスラム革命以来、服装規定として用いられるようになったというが、私は実物を手にしたこともなかったのである。

 「何だか、長い丈のレインコートみたいなものらしいです。レインコートを着るなら、くるぶしのところまであるのを着てくださいということでした」

 レインコートはあるが、そんな引きずるみたいな長さのものは持っていない。

 テヘラン(イランの首都)に出発する前に、私はシンガポールの家にしばらく滞在することにした。シンガポールにはイスラム教徒もたくさんいるから、そこならヒージャブなるものも買えるだろうと思ったのである。ところがシンガポールのショッピングセンターを気をつけて見ながら歩いても、ヒージャブは売っていない。私は仕方なく町でヒージャブを着ているイスラムの女性に「突然ですみません。あなたの着ていらっしゃる服はどこで売っていますか?」と聞いて、ゲイランスレイという町にその手のものだけを売る店が集まっていることを聞き出した。

 ところが東京からの情報では、ヒージャブでも派手な色のはだめだという。黒、茶、グレイ……とにかく地味なものだけ、と厳しい。

 幸運だったのは私が最初に飛び込んだ店のマダムがイラン人だったことだった。

 「あなたはどこへ行くの?」

 と彼女は聞き、「テヘラン」と私が答えると、

 「これなら大丈夫よ。私、イラン人だったから知ってるの」

 と2枚を選んでくれた。白と暗い藤色のコンビネーション、もう1枚はグレイに刺繍のあるものである。ナイロンのスカーフも大体色の合うものを選んだ。

 そこで私は尋ねた。

 「ねえ、この下には何を着るの?」

 私には1人のイラン人の知人もなかったから、私は彼女に聞くより仕方がなかったのである。

 「何でもいいのよ。Tシャツにスラックスでいいのよ。だってあなたは朝着たら、夜寝るまでこのヒージャブを脱がないんだから」

 それはそうだ、と私は納得した。つまり誰かヒミツの人の部屋でそれを脱ぐということさえしなければ、私が下に何を着ようと誰も見る者はないのだ。それで私は男ものの白いTシャツとザブザブ洗えるスラックスをはいて、初めての体験を乗り切ることにした。

 もう少し私のスタイルがよければこの服はなかなか情緒あるものだった。体の線を隠してくれるという点も、私はすっかり気に入ったのである。私をシンガポールの飛行場まで連れて行くために迎えに来てくれた知人の家の運転手さんは、私がヒージャブ姿でアパートの玄関を出て来てもまるっきりわからなかった。別人だと思ったのだそうだ。

 同行の日本財団の女性たちの分のヒージャブも私は買っておいたので、その人たちはクアラルンプールの飛行場でイラン航空に乗り込む前にヒージャブに着換えた。確かに皆少しおしとやかになったように見えた。

 テヘランでは、男性と握手をしないように言われた。これも私にとっては大変便利なことだった。男性に会ったら眼を伏せて軽く会釈をすればいいのである。握手というのは、世界的な蛮行である。あのおかげで、どれだけ不潔なバイキンをうつされるかわからない。

 テヘランの日程の最後に、私たちはUNHCRの代表の公邸に招かれた。フランス人であった。その人は私たちを迎えると「さあ、どうぞヒージャブを脱いで楽になさってください。ここは国連機関なので、一応外国ということになっていますから」と言ってくれたのである。

 しかし私はヒージャブを脱ぐに脱げなかった。中はよれよれの、つまり寝間着として着てもいいようなシャツとスラックスしか着ていなかったからである。

 最近イランでも少しずつ女性の服装が派手になり、この10月に初めて政府公認のファッション・ショウも開かれた。もっともその催しには、女性だけしか入れず、カメラマンも撮影を許されなかった。しかしそれまでファッション・ショウは個人の家でうちうちに開かれるだけだったのだから、大変な解放だったとも言える。

 もっとも私は以前にも、サウジアラビアなどの戒律の厳しい国では、飛行機が母国の空港の滑走路を飛び立つやいなや、上流階級の女性たちは黒いチャードルを脱ぎ捨て、中に着ているパリのオートクチュールのミニスカート姿になるのだ、と言う話は聞いたことがあった。私はその話をもっと真剣に覚えているべきだったのである。

 そういえば、テヘランのスーク(市場)では、よその国ではあまり見たこともないような真っ赤なブラジャーなどが売られていたし、イスラムの男たちは、ヒージャブの裾からほんの一瞬覗く女性の足首にこの上ない色気を感じる、と聞かされたこともある。

 もちろん解放への憧れは強い。しかし包み隠すことへの安心感もアラブの女性たちにあったはずだ。その分裂した心をわからなかったのが、ブッシュの率いるアメリカの知識人たちだったのだ。
 



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