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10月末、京都の御室(おむろ)仁和寺第48世門跡、佐藤令宜大僧正の晋山式への参列にあわせ、秋色濃い紫野、嵯峨野のあたりを散策しました。晋山式とは高僧が一寺の住職に就くための儀式です。
真言宗御室派総本山仁和寺は、仁和4(888)年に宇多天皇によって創建されました。宇多天皇は退位後に出家し、ここで真言密教の修行に励まれました。以来、明治維新まで歴代、皇族縁戚者が門跡を務めてきました。中学や高校時代、古文の授業で必ず読んだ吉田兼好の『徒然草』にもたびたび登場してくる古刹でもあります。
今年は夏の長雨のせいか、京都の秋の到来は例年より半月は早いとのこと。仁和寺の境内は木々の錦に彩られ、天然記念物の「御室桜」も葉脈が紅に染まって、時たま曇り空から降り注ぐ柔らかな秋の日差しに照り輝いていました。
阿弥陀如来が安置された国宝の金堂で執り行われた式典は、教義信仰を受け継いでいくことの厳粛さと、今ある人々の営みの温かみを感じさせられるものでした。障子や御簾が開け放たれ、回廊からは香華の香りが漂い、梵鐘や木鉦の音が参列者の心をまろやかに包み込んでいました。
御室を訪ねる1週間前、私は国際会議「フォーラム2000」出席のため、チェコの首都プラハに滞在していました。
ハベル大統領が在職時にスタートさせたこの国際会議も今年で7回目、主題は一貫して「異文化共存とグローバリゼーション」です。今回は宗教者会議が本会議に並行して開催され、世界各宗教の指導的役割を担う人々が参加しました。仏教界からは先ごろ来日したノーベル平和賞受賞者であるラマ教の活仏、ダライ・ラマ猊下の姿もありました。猊下が「今日、世界に蔓延している諸々の病弊は人間として持つべき心を失ったことに起因しており、精神的革命のみが対処しうる」と、物質文明から精神文明尊重への転換を発言されたのが印象に残りました。
プラハは石の街です。すでに初冬に入り、街路を往来する人々の吐く息は白く、紅葉の盛りを終えた落ち葉が石畳の上で氷雨にぬれていました。この街は別名「百塔の都」と呼ばれるほど石造りの伽藍が多い街でもあります。
私は今回、1週間あまりの間に東西2つの古都の秋に身を置く経験をしました。ともに千年を超える歴史を有する京都とプラハ。同じ北半球にある街ですが、それぞれに趣の異なる秋でした。鐘の音ひとつをとってみても、京都御室の鐘は穏やかにゆったりと水平に流れていき、プラハのそれは厳格にして垂直、鋭角的に天に上っていくように感じました。もちろんこの「感じ」はあくまでも個人的なものです。しかし、あきらかに異なる鐘の音は2つの都がはぐくみ築いてきた文化の違いであろうと思います。
「東は東、西は西。ともに合い交えることなし」との言葉があります。フォーラム2000においても、「異文化共存とグローバリゼーション」の課題が結論を得たわけではありません。文化の壁は途方もなく大きく厚いものです。しかし、互いを分かり合おうとする努力のすべてが徒労に終わるわけではない、と思います。「水平と垂直」の違いならば、平行線をたどるのではなく、いつかは交わるときが来ると信じています。
京都からの帰路、新幹線のなかで「徒然なるままに」思い起こした私の二都物語でした。
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