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私は少しも勉強好きではなく、よくどんな苦労をしても上級学校へ行きたいと思ったなどという向学心に満ちた人の伝記など読むと、ほとほとに感心したものであった。別に学問なんかしなくたって実務を覚えることくらい誰だってその気になれば生活しながらできるだろうに、と思ったのである。
若い時からずっとそう思い続けてきたが、アフリカなどの途上国に行くと、つくづく基礎教育というものは必要だと感じる。
子供たちを学校にいかせない理由はまず親が貧乏だからだ。学校に行かせなければ、牛飼いでも羊の番でもさせられる。しかし「読み書き算数」ができないと、いかなる近代的な仕事の場が仮にできたとしても取り残される。
そんな私が皮肉にも、35年来働いている海外邦人宣教者活動援助後援会でも、約8年前から勤めだした日本財団でも、学校建設に関わるようになった。日本財団ではペルーのフジモリ政権によって田舎に学校を建てるプロジェクトがどんどん進んでいる最中だった。
現場はひどい山奥が多く、学校が村一番の中心的建物になっていた。それをフジモリの選挙政策だという人もいたが、学校はちゃんと使われていたらそれでいい。
比較的都市に近い新築学校で熱狂的に迎えられた時、私はフジモリ氏にどうしてこの学校を新築の対象にしたのか聞いてみた。ペルーのことだから、いろいろと人のしがらみで頼まれたから建てたという場合もありそうな気がしたのである。しかしフジモリ氏の答えはそっけなかった。この学校が一番古かったからだと言う。
アフリカの田舎には、公共のバスなどない。子供たちは野越え丘越えして学校に通う。大きな学校ではなく、あちこちに小さな分教場を建て、しかもその近くに宿泊設備も作らなければ、子供たちは学校へ辿りつけない。
学校は気楽に考えれば10万円でもできる。土壁で木の葉葺き、電気も水道もトイレもなしならそんなものである。
その地方全体に電気がない場合はむしろ電気の設備をしない方が夜の暗闇に馴れた眼を維持できる。家にトイレや水道などないのだから、子供たちは学校にこうした設備がなくても特にひどいとは思わない。ただこの2つはできるだけ早く作った方がいい。女の子に生理が始まると、トイレのない学校にはまず通わなくなるからだ。
しかし10万円の学校でも教育は始められる、ということは忘れないでほしい。日本の感覚で高額な予算を計上して建てたりすれば、まず地元の感覚と浮き上がってしまう。源流はいつも小さく細いものだが、それでも立派なスタートなのである。
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