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日本人が見かけだけ中国人や韓国人と似ているから、心理的にも似ているだろうという人がいるが、実はこの3者は、性格も生き方も大変違うように思う。もっとも私は、中国にも韓国にも住んだことがないので、ごくわずか付き合ったことのある気持ちのいい友人たちとの反応を通して考える他はないのだが。
そして作家としての私は、人間の性格が同じであることを喜ぶより、むしろ違いを楽しみ、違ってこそ東北アジアの繁栄も安全も成り立つのではないか、と考えている。そして前言を取り消すようで申しわけないが、この恐ろしく性格の違った3者が、時々一部でひどく似ていると感じることもまた不思議なのである。
それはアメリカ人やヨーロッパ人などがもっぱら人前で妻を褒めるのに対して、韓国人や台湾人の中には日本人と同じように「愚妻」と表現する精神を貫いて妻を褒めることをほとんどしない人もいるということである。
私があえて台湾人というのは、政治的配慮からではなく、台湾が50年間にわたって日本領だった時、日本が本土と同じ教育をした結果、台湾人の中には日本語が一番達者という人もいるくらいだから、中国本土のチャイニーズと少し性格や文化が違って当然だろうと思うからである。
≪ カーター元大統領の妻への想い ≫
私が働いている日本財団は、アメリカのカーター・センターと、アフリカの農業問題に関して17年間共に働いてきた。牧師さんの家に生まれられたカーター氏は、すばらしい文章家で、私は以前から氏の書かれるものを日本人としては愛読していたほうだと思うが、先日ひさしぶりに来日されたご夫妻と一夕、夕食を共にした。カーター氏には『いつも思い出』という詩集があり、中には「ロザリン」というカーター夫人を描いた詩もある。
「群衆の中にいても、私はいつも彼女の視線の中にいることを願った。しかし彼女は恥ずかしがりやで、いつも1人でいたがった」
詩もモデルを眼前において思い出すというそう楽しい。
「彼女のしずかな声は、暗い空に稲妻が光るように、私の混乱した考えを明らかにしてくれた」
これがアメリカ大統領の私生活の一面なのだ。今度も夕食の時、カーター氏は1皿出来る毎に、夫人にこれは何かとお聞きになり、夫人は英訳のメニューの内容を正確に伝えられる。微笑ましい光景であった。
「昔のはにかみは消え、髪は灰色に変わっても、彼女の微笑は、今も小鳥たちに囀りを忘れさせ、私には囀りを聞くことを忘れさせる」
どうも訳がうまくないのだが、そもそも詩を翻訳するなんて冒涜だ、というのが私の言い訳だ。カーター夫人はファーストレディだったというより、静かさと慎ましさを今でも貫いている方である。
夫婦の繋がりは、どこの国でも同じであろう。日本でも多くの年取った夫たちが、妻に先立たれると生命力を失ってしまう例が報告されている。或いは1人で暮らしていても、かつて妻がしていた家事をすると、あたかも妻が傍にいてくれるように感じることがある、と述懐した夫もいる。
日本の男たちの多くは、自分でお茶さえも入れられない人が多いから、妻を亡くすと生きていられなくなる人が多いらしいが、やはり向き合ってお茶を飲み、話をする気楽な相手がいなくなったことが辛いのである。夫婦の繋がりは深い。
しかしそれでも日本の男たちは妻をあまり褒めない。「家内は非常に美しい女性で」とか、「家内は立派な政治家です」とか、「家内は昔から秀才でしたから」とかまじめに褒めた日本人に、私はまだ会ったことがない。
日本の夫たちは、妻のことを言う時、必ず強情で、スタイルが悪くて、もの知らずで、おっちょこちょいで、おしゃべりで、根性が悪い、という話し方をする。それを聞いている他の男たちは、それに同調もせず否定もせずに笑い、そして心の中では「ああこのうちは、夫婦仲がうまくいっているんだな」と思うのである。
反対に、女房を褒めそやす男がいると、「あいつは、陰に女がいるんじゃないか」、と周囲は思う。
若い世代は知らないが、或る程度の高齢者間で、このような日本的に屈折した表現がすんなり伝わるのが、世界中にわずか韓国人と台湾人だけだ、というのはどうしてなのだろう。日本人は、決してカーター大統領の「ロザリン」のような詩を書かないし、書けないのである。
≪ 俯き加減の日本の男たち ≫
どうしてアメリカ人にはできて、日本人にはできないのか、と考えてみると、アメリカ人はいつまでも夫婦は男と女なのである。父と娘も男と女なのである。だから少しでも外見や性格を非難するようなことは気楽に言えない。しかし日本人にとって結婚してしばらくすると、妻は肉親に近くなり、子供が生まれれば、「お母さん」になるから、妻のことを「愚妻(愚かな女)」とか「荊妻(みなりの質素な女)」と言っても、謙譲語として通るのである。しかし同時に妻は、家の中心を取り仕切るから人間より偉い「山の神」とも言われる。一神教の世界ではとうてい考えられない発想だ。
「うちのかみさん」という時は、おそらく平仮名なのだろうが、料理屋の女将は「お上さん」でやはり奉った呼称である。
私は大学でいい加減に英文学を学んだおかげで、西欧的な思想にも少し触れた。その結果、妻を褒め讃える外国の男たちの姿勢のよさにも微笑を覚え、妻を愚妻と表現したがる日本の男たちの俯き加減のものの言い方の陰影も理解した。何と言ったって私は日本人なのだから。
私は日本人と非日本人の違いを楽しんできた。同一性ではなく、違いこそ社会を強く複雑に楽しくしてくれる、という思いは変わらないが、違いを許さない人が世界にたくさんいるからケンカが絶えない。
私の中の異国、私の周辺の異文化ほど、私を複雑にしてくれるものはない、と今でも私は感謝でいっぱいなのである。
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