共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 歌川 令三  
記事タイトル: エチオピア紀行(3) 海のないことの持つ意味  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/11/04  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   世界には191の国があるが、このうち海に面していない国が42ある。持参したCIA(米国中央情報局)のThe World Factbook 2002、エチオピア編をめくっていたら「海岸線の総延長は、○・○km」とあった。このCIA流の表現は、エチオピアには海がないという意味だ。世界地図を開いてみる。

 あと、少しだけ東か北に足を延ばせば、紅海に出られるのに、2つの国(ジブチとエリトリア)にさえぎられている。

 海が近いのに海なし国とは、窓がない家みたいで、何か気の毒な気もする。もともと海があったのだが、歴史的な紆余曲折のあと海を失なってしまった。その「紅余曲折」については、のちほどふれる。


≪ 高原国家と地球の割れ目 ≫

 日本の3倍の広い国土を持つエチオピアだが、国土の大部分は、首都アジスアベバのある中央高原で占められている。

 標高1800メートルから2400メートル、海がなく外に閉ざされているだけでなく、高原、山岳、大渓谷、そして海抜ゼロメートルの砂漠からなるエチオピアは、国内の往来が不便で「内にも閉ざされた国」と名づけられている。アジスアベバで求めた英語の旅行案内書にはそう書かれていた。

 「内にも閉ざされる」。ちょっと変てこな表現だが、エチオピア全図を開いて納得がいった。道路が少ないのには驚いた。案内役のタケレ・ゲブレさん(元農林省農業普及局長)によれば、アスファルトで舗装され車の走れる道路に出るのに、3日もかかる村落なんて珍しくない。むしろそれが普通だという。「ロードマップには載っていないけもの道を農民はロバで往来する。大旱魃があると、エチオ.ピアでは局地的に食糧危機が起こる。国全体としては自給できる穀物の総量は確保されているのだが、問題は輸送なんだ。Great Rift Valley(大地溝帯)が、エチオピア高原を縦断していてね。山と深い谷が、道路建設をはばんでいるのだ」。「内に閉ざされる」とはいかなる意味か、タケレさんの解説であった。

 Great Rift Valley。私は、アジスアベバで彼に出会う前に、それをこの目で確認している。初めてのエチオピア訪問とあって、機上から下の珍しい風景を目を凝らして眺めていた。大高原の周辺に、3〜4000メートルもあろうかと思われる高峰がいくつもそびえている。この高原は、ところどころ浸蝕されて、巨大な断崖があった。これが、タケレさんの言う大地溝帯だったのだ。

 後刻、持参のCIAの資料でチェックしたら、「エチオピアにはNatural Hazardあり」と注意を喚起していた。この英語、直訳すれば「自然の危険地帯」ということになろうか。「地質学的には活動中のGreat Rift Valleyが、地震や火山爆発、ひいては旱魃を引き起こしている」とあった。

 地溝帯とは地球の巨大な割れ目のことで、いずれエチオピアの大地は、そこから2つに裂けることを告げているという。

 「ぶっそうなCIAの予言だけど……」。そう言って気をひいたらタケレさんは苦笑した。

 「それはウソではない。でも何百万年とか、何億年の単位の話だけど、旧約聖書の出エジプト記知ってる? アフリカ大陸とアラビア半島に裂け目が出来て海となったのが紅海だが、そこから幅50キロ、深さ1500メートルの大断層がエチオピアを真っ二つにして走っている。それが数千キロ南のモザンビークのインド洋まで続いているんだ」。

 私が機上から見たエチオピアの中央高原は大断層のほかに、小断層もあって高原をさらに2つ、3つに割っている。断崖は恐らく300メートルから500メートルといったところか。

 その底部には、機上から見ると川がくねくねとしていた。部落らしきものが見えたが、それをつなぐ道路らしきものはない。恐らく孤立しているのだろう。「その通り。もともと断崖で隔てられている2つの高原の部落の間には、目の前に隣りがあっても交通のありようがない」。タケレさんが教えてくれた。

≪ イスラムの地、ディレダワ駅に向かう ≫

 首都アジスアベバには、古めかしい鉄道の終着駅があった。国境を越えて、ジブチ共和国に通ずる鉄道で、20世紀初めの開通だという。子供の頃から地図大好き人間の私は、さっそく地図を取り出し、行先をたどりつつ想像をたくましくした。

 鉄道は高原を大地溝帯に向かっていよいよ下降し、東部の地にあるいくかの町を縫って、ジブチとの国境に近いこの国の第2の都市ディレダワ(第2といっても人口13万人)に到着する。そこからジブチ共和国に入り、紅海の港まで延びている。「ラクダやロバの道はともかくこの舗道こそ、エチオピア近代における最初の海へのルートではなかったのか」。そんな仮説をたててみたのである。
 
 翌日のスケジュールに、ディレダワを山上から見おろすイスラム教の旧都ハラール郊外にある農業大学訪問が入っていた。タケレさんに鉄道で行けないのか、伺いをたてたら、「あんなオンボロで、遅くて、混んでいて、しかも治安の悪い列車はダメ。だから、私は1回も利用したことがない」と。念のために観光案内所で調べてもらったら警官2人が乗務するので、治安は何とか確保されそうだが、450キロの行程を12時間かけて運行されると聞いてあきらめた。

 空路ディレダワに向かう。わずか1時間半であった。そこはアジスアベバとは異なる世界だった。暑い。やたらに乾燥している。ほこりっぽい。蚊がいる。

 マラリア予防のためスプレーを買う。景色は茶色で緑がほとんどない。人口稠密なクリスチャンの高原とは、びっくりするほど対照的なイスラムの地だ。ディレダワは、19世紀末、鉄道の開通によって急激に発展した商工業都市だ。昔は小さな村だったという。ディレダワにある「大アジスアベバ・ジブチ鉄道」の本部を訪れ、鉄道の由来を聞いた。1890年代、当時の皇帝メネリックは、紅海沿岸の仏領ソマリランドと、エチオピアの首都を800キロの鉄道でつなぐ大事業を思いついた。古代エチオピアは海を持つ帝国だった。しかし8世紀から10世紀にかけて、アラビアとエジプトから武装したイスラム教徒が、海を渡って侵入し、海岸に近い平地をすべて勢力圏におさめてしまった。

 海を失なったエチオピアは、以来、高原に孤立する内陸の王国の地位に甘んずることになった。皇帝のアイディアは、この古い孤立の突破口として、鉄道を敷き、首都を海に直結させるのがネライだった。

 トンネル22本と34の駅を含む青写真が完成した。だが言うは易く行うは難し。資金に加え「鉄の怪獣がやってくる」とおびえた砂漠の原住民の執拗な襲撃にあい、20年たっても完成しなかったという。


≪ 「ボンジュール・ジャポネ?」 ≫

 これに目をつけたのが、フランスで資金援助をする代りに、鉄道の経営権をすべて握ることを条件に、ようやく完成にこぎつけたのだという。

 鉄道本部の通行許可証を胸につけディレダワの駅舎に入って見る。旅客列車は、アジスアベバ便が1日1本、隣国のジブチ港行きにいたっては、週に3本しか運行されていない。あとはエチオピアの輸出入の担い手である貨物列車が、結構ひんぱんに走っている。

 「ボンジュール・ジャポネ?」。突然、駅員にフランス語で挨拶されびっくりする。鉄道のエチオピアの部分は、仏領ソマリランドが独立し、ジブチ共和国と改名した1977年以降、経営権はエチオピアに移管されたが、駅舎にはいまでもフランス語の表示が残されていた。

 ここから、350キロの道程を12時間かけて走ると、国境線のかなたの紅海に到達する。プラットホームには、ジブチ港で陸揚げされたと思われる穀物の袋を山積みした貨物列車が停車していた。カナダ産の小麦であった。多分、海外から運ばれた援助物資だろう。

 旅の相棒、タケレ元農林省農業普及局長は、と見ればレールのカーブを観察し、しきりに首をかしげている。そしてこう言ったのだ。

 「ミスター・ウタガワ。機関車はカーブを切るときどうするのかね。自動車みたいにSteering Wheel(ハンドル)がついているのか」と。一瞬、冗談かと思ったら大真面目だった。鉄道の生みの親で、発明家で名高いメネリック王がこれを聞いたら、天国で苦笑することだろう。

 海の存在は、国の発展に深くかかわっている。海へのアクセスが容易な国は、おのずから文化や技術の交流が盛んになり、かつ輸送コストも内陸国より安い。100キロ以内に海を持たない途上国は、他の途上国に比べて、年率0.6%経済成長率が低いという試算もある。そうだとすると、エチオピアが近代化したこの100年の間に、もし海があったとしたらこの国の国民総生産は、いまの2倍近くになっている。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation