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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「アフリカには何でもあり」  
コラム名: 昼寝するお化け 第281回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 2003/08/08  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   毎年、アフリカ、南米、インドなどの最貧困と思われる生活を知るための旅を、これで8回続けているが、今年も出発までに後2カ月を残すだけになった。

 いつも言うことだが、このような旅は、私の友人のおかげで可能なのである。こうした厳しい土地に住みついて実際に働いているカトリックの神父や修道女を経済的に支援する仕事を、私は31年間続けて来たので、その人々を訪ねるからこそ、こうした企画も可能なのである。そうでなければ、ホテルはおろか店らしい店もない原始的な村に入ることも村民と触れることもできるものではない。

 アフリカ旅行には常に独特の難しさがある。マラリア、デング熱、細菌性下痢、エイズ、エボラ出血熱(私はまだ見たこともない。見えるところにあったら大変な病気だ)、ハンセン病など、ここは感染性の病気の「宝庫」である。

 しかし病気は一応防ぐ方法がある。いつも頭を悩ますのは、移動の方法だ。アフリカでは東西に飛ぶ飛行機の路線が実に少ない。元の宗主国、つまりフランス、イギリス、ポルトガル、スペインなどとだけ南北に結ばれ、日本人のように、北陸3県が責任範囲のセールスマンが、1回の旅で、福井、金沢、富山を効率よく回るなどということはできないのである。

 その飛行機のスケジュールも終始変わったり消えたりする。しかも予定通り飛ばない。5時間遅れ、10時間遅れ、18時間遅れなどというのも珍しくない。荷物も必ず数個は積み残す。路線が週に2便しかないところなら、積み残した荷物は3日か4日後にしか届かない。

 今年の旅は南アのヨハネスブルグから、アフリカ大陸の真ん中にあるカメルーンまで行き、それからコンゴ民主共和国、コンゴ共和国(この2つは別の国である)、長い間鎖国を続けてきたアンゴラに入り、南アに帰る、というコースを、今のところ計画している。

 果して飛行機の便があまりうまく行かないのに因っていたら、或る人がヨハネスブルグからチャーター機をすることを勧め、知っている会社を紹介してくれた。これは確かにいい案であった。人数が20人近くなれば、割安切符のないアフリカで高い運賃を払って不便なルートを動くより、便利で安くつくかもしれないのである。

 さっそくヨハネスブルグの知人に連絡して、交渉を進めているチャーター機会社の評判を調べてもらった。こういう場合必ず第3者の意見も聞かねばならない。すると親切な知人は、その会社はイギリス系のまともなもので、安定した営業をしていると教えてくれた。

 これでこの問題は「一段落」かと思って数日すると、私はおかしな記事を英字新聞で見つけてしまった。あろうことか、私たちも立ち寄ろうとしているアンゴラのルアンダ空港で、ボーイング727が盗まれた、というのである。

 アフリカでは何でも盗まれると承知してはいるが、チャーター機までが盗まれたという話を聞くのは初めてであった。

 事件が起きたのは、この5月25日の夕食時で、それまで14カ月もの間、ルアンダ空港に停まりっぱなしだったこの飛行機は突然動きだし、コントロールタワーからパイロットに説明を求める問い掛けにも応答せず、そして飛行機はそのままアフリカ大陸の闇に消えてしまった。

アメリカはこの飛行機がテロに使われることを恐れて、国務省、CIA、その他の機関まで総動員して衛星を使ってアフリカ大陸全土を捜索したが、行方はわからないままである。

 この飛行機は、長さ46メートル、90トン、就航以来28年、今もなお飛んでいる同種の約1100機のうちの1機である。このサイズの飛行機なら武器や宝石の密輸、テロリストの破壊活動にも使えるというので、当局は神経をとがらせたのである。

 この飛行機の履歴は次のようなものである。

 飛行機は20年以上、アメリカン・エアウェイズで使われていたが、その後、複数の人や会社に所有権が移り、その間貸し出され、又貸しされた。所有者のうちの数人は、いかがわしい事業に関係していたという。現在の所有者は、マイアミに本社のある「アエロスペース・セールズ&リース社」で、会社の責任者は、名前を思いだせないどこかの会社がこれを借り受け、座席を全部はずして燃料タンクを設置してから、飛行機をルアンダ空港に飛ばせ、そこから燃料をあちこちに空輸するつもりと聞いていたと語った。さらに先月「アーウィン航空」という会社がこの消えた飛行機を買おうとしていたという記録が「エアクレイム」のデーターベースに残っているから、その間に所有者も何らかの動きはしていたのである。

 アンゴラの国営ラジオによると、事件当時、問題の飛行機はアンゴラの航空会社「エア・アンゴル」にチャーターされていた。しかしアンゴラ政府の厳しい飛行規制にひっかかって、アンゴラ上空を飛行することができず、長く地上に止められていたのである。

 この飛行機がアンゴラに来たのは2002年の3月であった。その後ずっと飛行を禁止されていたのは、書類上で不備が見つかったからだと言うが、一方アンゴラの航空当局は自家用機の路線設定認可料と共に駐機料にも法外な額を要求していた。飛び立たせないでただ駐機させておくだけでも、収入にしようという腹だったのかもしれないが、所有会社の方もしたたかで、駐機料を踏み倒すために、相手の隙を突いて実力行使で「飛び逃げ」をしたのである。

 素人としてなら荒唐無稽な発想も許されるだろうから、この暑い夏のヒマ潰しのゲームとして、消えた飛.行機がどうなったかを私なりに推理してみよう。

 飛行機がテロに使われる恐れはほとんどないように思う。飛行機はもっとも近いどこかの田舎空港に着陸すると、ただちにジャングルに引き入れられ、上空からは見えない場所で解体されたのだ。

 まずパーツで売れるものは売る。同種の他の1100機がまだ動いているなら、パーツは市場価値がある。エンジンはエンジンで買い取る相手がいるだろう。胴体の金属は屋根の材料に、燃料タンクはタンクとして、シートはそのままか布地を切り取って、トイレの便座もアフリカでなら売れる。プロペラは村に必ずいる鍛冶屋が鋤鍬に改造する。車輪は大八車に使う。まさに解体して原型を留めぬまでにばらしていれば、衛星も発見することは無理なのである。

 「アフリカには何でもあり」と私は常々自分に言い聞かせて来たが、飛行機まで盗まれないように注意が必要だということまでは今回新たに勉強したことである。
 



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