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先頃、私たちはカメルーンで、首都から東方に約600キロ離れたピグミーたちの住むミンドルウという土地に入った。この距離は四駆で普通13時間。行きは途中の町で1泊することにした。暗くなると物取り強盗のたぐいが出る恐れもあるから避けるのが常識なのである。
万が一、前方に倒木など交通を妨げるものが見えたら、先頭車はトランシーバーで後続車にそのことを伝え、ただちに停止して決して現場まで近づかない。情況を見極めに行くのは、私たちが頼んだ憲兵隊の車だけ。この人たちは、機関銃と手榴弾を持ち、防弾チョッキをつけている。その間に、私たちの車は一斉にUターンか強引にバックして、退避の体制を取ることになっていた。
しかし今ここで言いたいのは、そういうことではない。長旅になると私はさまざまなものを身を守るために持ち込んでいた。水と食べ物、薬や懐中電灯…。その中で私がもっとも大切に思うのは水と食べ物だった。
まだ小学校の高学年の時、私はモーパッサンの『脂肪の塊』を読んだ。1870年代にフローベールのサロンでゾラとも知り合ったモーパッサンは、プロシア・フランス戦争をテーマにした短篇を書いて持ち寄るという知的遊戯に加わった。その時生まれたのがこの『脂肪の塊』である。作品には、戦後の微妙な心理的背景や、当時の社会的階級構造を示す登場人物などが配置されていて、重層的なテーマが隠されているのだが、小学生の私にはそうした部分はまるっきり読み取れていなかった。
物語は山っ気のある金持ちの商人や修道女に交じって、1人の『脂肪の塊』とあだ名される太っちょの娼婦が、ル・アーブル行きの馬車に乗り合わせるところから始まる。この馬車は雪道で難渋し、何と13時間もかかる。まさにわれわれと同じ時間的長さの旅をしたのだ。この娼婦以外の人々は食べ物を携行していなかった。初めは賎しい女として彼女を無視していた人々も、この女がスカートの下のバスケットの中に、2羽の雛鳥の丸焼き、パイ、菓子、果物などを持っているのを見ると、誇りも何も捨てて、その食べ物を分けてもらう。
小説はさらに、最初の宿場でこの女に目をつけたドイツ士官の気を損ねないために、彼女が士官と寝ることさえ暗に男たちが勧めるところまで及ぶが、小学生にはその部分も記憶にない。
ただ私はその時から、一生旅をする時には、必ずたくさんの食べ物を持っていて同乗者に気前よく分けられる人になりたいと思ったのである。生涯の決意としては実に志低いものであった。
幼い時の読書は、こんな形で私の中で生きていた。しかし同行の若い世代は誰もモーパッサンのこの名作を知らなかった。本を読まないと、人生の楽しさも逃すかも知れない。
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