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日本国全土に深く長く浸透している伝統的「遠慮」の行為ほど、私にとってうまくできないものはない。
「どうぞ奥さまがあちらに」
「とんでもない。奥さまこそ今日のお客さまですから」
「いえ、私は先に来てここに坐らせて頂いておりますから」
まあ多分、遠慮は日本人の美徳なのだろう、と半分は理解している。後から来てさっさと上席に坐る人なんて、それだけで、厚かましい人、背負っている人、無教養な人と思われるのだろうが、私は気短なので、どうしても、この見え透いた遠慮のやり取りをこなすことができない。
1人の人が1日のうちに、遠慮のために1分使ったとすると、1年で365分。人間が「遠慮」という社会的行動をして生きる人生を50年とすると、実に300時間が遠慮に費やされる。人は1日のうち8時間を睡眠に費やし、起きて動く時間は通常16時間とすると、300時間は18日とちょっと。人生で20日近くを、その人は1日中ご飯も食べずトイレにも行かず、ただただ遠慮だけして生きているのだ。
私は毎年、車椅子の人たち、視力障害者、行動に少し難しい点がある高齢者などと、外国旅行をしているが、そういう時、この遠慮という面倒くさい習慣を、排除するおもしろい方法がある。
たとえばバチカンで教皇の謁見がある時など、誰もが通路近くの前に出て、教皇が通られる時に握手をしたい。そうすれば教皇庁のカメラマンが撮る写真にも映って、教皇とツーショットに近いポーズの記念写真が貰えるからである。
ずっと昔、東北の老人ホームにおられた本当に頭のいい婦人が参加された。今はもう亡くなったのだが、その方はこういう時、必ず前へ行きたがる人や、そうできない人の心理が交錯する中で、楽しくウイットで整理をしてくださったものだった。
「お体の悪い方は前に! お頭(つむ)のお悪い方は後ろへ!」
私は今でもこのセリフを愛用している。一度で整理がつかなかったら、もう一度思いつきで他の条件を付け加えて言えばいいのだ。
「美人は後ろ、不美人は前です」
「太った方は前に、痩せた方は後ろに」
「若者は後ろよ。年寄りが前」
皆げらげら笑っている。本当のデブは前に出ざるをえなくなる一方で、図々しく若者ぶって後ろに下がる人も出る。主観やユーモアや嘘を根拠にしたこうした区別は実体がないから、好きなようにすればいいのだ。どちらにしても、皆の非難や納得や笑いを受けて、ことは簡単に終わる。しかし遠慮のために費やされるむだな時間と心理は、かなり省くことができる。
日本中で、席を譲り合うため使われる時間は、やはり短縮した方がいい。
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