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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ピアノの上の真実  
コラム名: 楽な地点  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2003/09/23  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日初めて知り合った音楽の才能のある高校生と、旅先でお喋りをした。

 私はその高校生を半分専門家、自分は全く音楽と無縁の人間と思っているので、今勤めている日本財団の関連財団である日本音楽財団が、ストラディヴァリウスを17挺持っていて、世界中の演奏家に無料で使ってもらっている話や、日本財団の1階のバウ・ルームという広間を利用して若手の音楽家に度々無料で演奏会を開いてもらっている話などをした。ストラディヴァリウスを預けている人たちには日本で年に3回演奏会を開いてもらう約束だが、そのうちの1回は全く無料で聴いてもらえるようにしている。

 そのために日本財団はスタインウェイのピアノを買うことになってしまった。ヴァイオリンが名器なのに、いい加減なピアノで伴奏をするわけにはいかない。けちな私としては、搬入してすべて落ちつくまでに1600万円もかかるピアノを買うことは痛かったのだが、これで毎月、1000人くらいの人たちにいい音楽を聴いてもらえるようになったのだ。

 そんな素人っぽい話をしていると、高校生は意外なことを言った。

 「財団のピアノは、カバーもなしに手垢だらけになっているんですってね」

 「カバーはかかっているはずですけど」

 「ピアノには厚いカバーもよくないんです。日本は湿気が強いですから」

 「それはそうでしょうね。でもうちがスタインウェイをおいているところは1年中空調がある部屋だから湿気は大丈夫だと思うわ」

 「しかもピアノの上は、物置台になっているんですって?」

 私はそれ以上確信を持って答えるのは止めることにした。ただ、次に財団に出社した時、私は玄関から真っ直ぐホールの奥のスタインウェイを見に行った。

 美的観念からいささかも褒められないような定番の厚い黒いカバーが、ピアノには掛かっていた。さらに私は気がついていなかったのだが、その手前に簡単な可動式の柵もあって、ピアノの上には「ものをおかないでください」という注意の札もおいてある。ピアノは受付のお嬢さんの視野の中にあるし、あの重いカバーを取り除いて、ピアノの本体を手垢だらけにしたり、ものを置いたりするのはほとんど不可能な空気である。

 それにしても何というでたらめな情報というものが流れるのだろう。人間は、自分が直接見聞きしたこと以外、信じてはいけないのだ。世間の噂、マスコミの記事、ついでに歴史小説も、それを真実だとして処世訓にしたりするのはやはりまちがいなのである。
 

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